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カポーティ

 とにかく、後味が悪い。この試写を見た帰りの電車で、私はめちゃくちゃユーツだった。映画を見た後、後味がこれほど悪く、気分がどっと落ち込む映画も昨今珍しい。ただ、この後味の悪さががくだらない映画、例えば「ダ・ヴィンチ・コード」を見たようなそれであるのなら、話は単純である。「ちょーつまんねー」と酷評すればいいんだから…。

 しかし、映画「カポーティ」の後味の悪さはそんな簡単で単純なものでなかった。人間の深遠なる部分に触れてるからこそ、始末に追えなかった。これは物を書く人間なら、誰にでも当てはまる試練であるし、永劫不変のテーマである。書く行為は純粋である。しかし、書かれる人間は果たしてどうなのか?書く人は書かれる人の中にある一寸の尊厳だけを見出し、それを正当化するために、命をかけて東奔西走する。
 
 だが、それは描かれる立場の人間にとって、どれほどのものであったのか?むしろ、書く側の人間のエゴと名誉のために、ただ単に利用されたに過ぎなかったのではないだろうか。

 トルーマン・カポーティとは「ティファニーで朝食を」で出会った。というよりも、映画の方が大メジャーになっていたので、主演のオードリー・ヘップバーンが「ムーン・リバー」を唄うシーンを思い出す人の方が多いのではないだろうか。

 ともあれ、私はカポーティのベストセラー作品「ティファニーで朝食を」「遠い声、遠い部屋」も読んでいたし、この映画の原作になった「冷血」も難解だなと思いながら読んでいた。「冷血」はカンザスの豊かな農家一家が惨殺され、その犯人を追及したドキュメンタリーである。当時では珍しいノンフィクションタッチの作品で、トルーマン・カポーティはこの作品で栄光と名声と富を確実にした。しかし、その後カポーティは何も生み出すことがなく、アル中で生涯を閉じた。

 犯罪者にインタビューを重ねるうちに、つけられた本の題名が「冷血」である。あくまでも犯罪者の冷酷さ、残虐性を描いているようであるのだが、実はこの「冷血」はトルーマン・カポーティ本人の心の奥底に張られた数本の血管の中を流れていた冷ややかな血であったことが、ヒシヒシと解明されてくるのである。

 まだまだ、公開は今年の秋。しかし、いち早く、この映画に出会った私は、おこがましいようだがカポーティに代わって、この映画の存在を早く報告しなければならない責務を感じた。

 カポーティを演じた、フィリップ・シーモア・ホフマンはこの作品でアカデミー賞主演男優賞を獲得した。アカデミー賞には懐疑的な私であるが、この主演男優賞は大納得。机上にしか存在しなかったトルーマン・カポーティが、実はホモで、舌足らずのチャイルディッシュな話し方をする人、サービス精神旺盛で周囲を笑わせる人、作家としての倫理に悩む人、そんな人間的な側面を実にうまく表現した素晴らしい演技であった。凄い!
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