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シービークインが逝ってしまった…

コンテンツの更新が遅れているので、色々な人から更新はまだ?というメールがきていた。
新作映画情報など20本は見ているが書く気分になれなかった。もちろん日記も。

今でも、心の中はまだ整理がついていないが、日付だけでもキチンとここに残しておかねばと思い、筆を取った。物を書くということは喜びでもありカタルシスでもある。しかし、時にはそれ以上に自分を消耗させ、辛くさせることでもある。

             ●2004年1月10日(土)●

シービークインが亡くなった。享年30歳。2月23日には31歳の誕生日を迎えるはずだった。

三里塚・千明牧場の管理者の安藤さんからその訃報を聞いた時、私は血の気が引いて、顔が真っ青になっていた。毎年、家族で成田の宗吾参に初詣した後、三里塚まで足を伸ばしてクインのところに会いに行くのが恒例になっていた。2日、夕刻近くに千明に着いた。クインは馬房の中でご機嫌のいつもの船揺すりのポーズをして愉しそうに遊んでいた。冬毛でモコモコになった体の中に顔をうめ、その優しく心地良い彼女の体温に凍えきった自分の体や心を暖めてもらい、「今年もクイン、よろしくね!」と新年の挨拶をしていた。

夫、息子、娘が「本当にクインは大人しくて可愛いよね」って誉めると、なんとクインは、「ぷーっ!」と元気の良いオナラをして、なんともユーモラスな返事をしてくれていた。一家は涙を流して大爆笑していた。
娘が「ママ、お馬のオナラも人間の音と変わんないんだね?」それにまた、大爆笑。
「クイン!シンザンの寿命の35歳は軽く超えるよね。お誕生日には絶対また来るからね」
そう話すと、私たち一家はとても穏やかな気分になって、車に乗り千明を後にした。

クインの姿を見たのはそれが最後だった。

クインは死の前日の9日の午後まで元気に放牧され、飼葉もたくさん食べ、いつもと変わらなかったそうだ。收牧する時間になった時その時、クインに異変が起きた。急に足元がおぼつかなくなったので、安藤さんは大急ぎでなんとか馬房まで連れて帰るが、すでにクインは立つことができなくなっていたそうだ。近所に住む獣医さんを呼び、色々な処置を試みたものの、心拍数がどんどん乱れ、明け方の5時に眠るようにして彼岸の馬になったそうだ。死因は老人性の心臓発作だった。

眠るように穏やかに天国に召されたということだけが救いだった。息子のミスターシービーは不治の病である蹄葉炎にその脚を蝕まれ、激痛との悲痛な戦いの彼の表情だけが脳裏に焼き付いているので、クインが苦しまずに逝ったことだけが、本当に救いだった。

三冠馬ミスターシービーとともに千明で出会った母親シービークインとは、息子がたった1年間の余生であったが、今では母親クインとの方がずっと付き合いが長くなっていた。時間があれば毎週のように彼女を訪れていた。それが4年間以上も続いていた。
そのエピソードを2月初旬発行予定の流星社「あの馬は今?」ストーリーズという本の中に、去年の秋書いたばかりだった。それが、クインの遺作になってしまったのも複雑な気持ちだった。

1930年代、アメリカの大恐慌でアメリカ庶民を救ったシービスケット。1983年、シンザンから19年ぶりの3冠を奪取したミスターシービー、そして、2003年12月28日、引退レース・有馬記念で競馬場のターフを颯爽と去って行ったG1・6勝馬アメージングホース、愛すべきアグネスデジタル…。
そして、そして、2004年1月10日、シービークインは穏やかに天寿をまっとうした。因みにクインは生涯1頭の子供しか世に送り出すことができなかった。その貴重な1頭が三冠馬ミスターシービーであったというのも類い稀な感動的物語である。

シービークイン 1973.2.23生まれ 黒鹿毛

父・トピオ 
母・メイドウ

戦績  昭和51年 「4歳牝馬特別」(GⅡ)優勝
      52年 「毎日王冠」(GⅡ)優勝
      53年 「京王杯SH」(GⅡ) 優勝
      51年 「オークス」(GⅠ)3着
      53年 「中山牝馬S」(GⅢ)2着

名牝シービー・クイン、本当にありがとう!安らかに!

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