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マリリンの更年期外来

娘の結婚式も無事終わり、ホッとした。

それにしても、私は留袖が似合わねーと、つくづく思った。なんせ、頭ん中はクレイジーでイカれているわけで、
そんな人間が日本伝統の留袖を着ていること自体が不自然なんだ。

なんだか、吉本興業の今くるよか、こまどり姉妹になったような気分で、関西女漫手とド演歌歌手の合体みたいな妙な自分の姿に自分でも笑っていた。

ま、それはともかく、ここ2~3日、久しぶりに、子供の友達のお母さんと町で遭遇することが多かった。マーフィーの法則じゃないけど、10年ぶりに立て続けで3人のおかーさんと出会った。

凄い確立だ。

で、もっと、凄い確立なのは、この3人のおかーさん達の口から「瀧澤さんて、更年期障害酷かったって、だいぶ前言っていたわよね?今私がまっただ中みたい。毎日調子悪くておかしいの」と、辛い表情をぶつけられた。

彼女たちは私と同世代。私の更年期障害の症状が出たのは45歳の時、かなり早いほうだ。私は終盤だが、彼女たちは真っ只中にいた。

更年期障害、それは、ある日突然に襲ってくる。

私の場合、イギリスのロックバンド、レッドツェッペリンのライブを見た翌日に、吸う息はできても吐く息ができない、心臓はボコボコと激しく踊り、気絶しそうになったのだ。

お医者さんは「うーん、過呼吸症候群ですね。更年期のスタートかも知れないですね。自律神経がやられたんでしょう?」との診断だった。

ロックのライブを見るのも10年ぶりで、大好きなツェッペリンを見て興奮したこともきっかけでなったのかも知れない。

20代の頃、あれだけ魂を揺さぶってくれ、愛したものが、40代の半ばでは受け付けなくなっていたのかもしれない。つまり、心の中は若いつもりだったが、体の中は徐々に老いの支度を始めていたのでしょう。

その日を境に、私は心身ともに病人になってしまった。たまたま、スポーツ紙の週間連載が始まり、それと重なったこともストレスだったのだろうか、それとも、それがあったからこそ自律訓練ができたのだろうか?それは今でも分からない。

更年期障害特徴の「不定愁訴」(この言葉がぴったり)が毎日のように手を変え品を変え、襲ってきた。

フラフラしていてまっすぐ歩けない。肩に鉄板をのせたような酷い肩こり、肩こりに伴う目まい、手足のしびれ、
顔面の痙攣、ツワリのように胃がムカムカした吐き気、頭にワッカをはめられたような頭痛と頭重感、目がチカチカして本も読めない、睡眠中の悪夢、悪寒と寝汗、朝起きた時のだるさと倦怠感。フィジカルな面以外には、人と会いたくない、話したくない、電話に出たくない、生きていたくない、世の中が真っ暗、突然に襲ういてもたってもいられないイライラと突然に襲う悲観と不安。よく家族を怒鳴りつけちゃ、泣いたりと、ほとんど狂人のような私だった。

思い出す限り、こんな症状がなんと10年間続いた。更年期は女性の場合、閉経前後10年というが、全く私にもそれが当てはまった。

一番辛かったのが閉経前後2年。これこそ、辛さの極致、出口の見えない地獄のような4年間だった。

なんとかして、この症状を緩和させたいと、ありったけの病院で見てもらうのだが、自律神経失調安定剤の処方だけで、これと言った特効薬はなかった。

ただ、私がなんで10年間、乗り越えることができたかというと、これは単純なことだが、スポーツだった。どんなに心臓がドキドキしてようが、スイミングをやり、どんなに体がダルくても、自分にカツをいれ、筋トレやヒップホップダンスをやっていた。

「毎日、こんなに酷い症状が続くならなら、もう限界。どうにでもしてくれ!もうこうなったら体を酷使して死んでもいいじゃん!」と、荒治療、自虐的に居直ったことかもしれない。

超ドMになり、体を苛めぬいたのが良かったのではないかと思う。

頭の中、体の中が負の連鎖を起こしている時に、頭だけで解決することはできない。マイナス思考を乗り切るのには限界まで体を酷使して、挑戦し、頭が空っぽになるまで修行だと思ってやるしかない、というのが私の結論だった。

更年期障害は擬似の病気であるから、本当の病気ではない。本当の病気でないことを確認いできたら、どんなに体を動かしても死ぬことはないのだ。

そんな経験を3人の更年期障害の真っ只中にいるおかーさん達に話した。

「うわー、そんなに酷かったの。まだ、私なんかマシなのね」と、3人とも同じリアクションだった。

私は一応物書きである。自分の体の変化や辛さをどれだけ他人に理解してもらえるかが仕事でもある。

「もし、辛くて大変なら、いつでも電話頂戴。病の問屋の私は更年期のありとあらゆる症状を経験しているから、分かってあげられるよ」

と言うと、彼女たちは「なんだか、スッキリしたわ」と笑顔になっていた。

私の辛い経験も少しは人のためになるのか…。更年期もまんざらじゃなかったのかと、今は思えるほど、私は元気になっていた。あれを乗り越えたからこそ、強靭な精神力も生まれた。

乗り越えることのできない壁はないのだ!必ず夜明けは来るのだ!

もし、読者の方で同じような症状に方がいらしたら、いつでも、「マリリンの更年期外来」にいらしてくださいね!
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コメント

う~む

更年期障害には命の母AなんてCMが流行った頃、拙宅の母も不定愁訴で昼間から寝ていた事があり驚いた。初めて見る光景であった。
父が、今母さんは病気だから無理させないようにと、珍しく気遣っていた。近くの伯母が来て、私達の食事を作ってくれた。家の中が異様な雰囲気だった。私は母が精神病になったらどうしょうと思った。そうなんだ!母はヒステリーを時々起こした。今考えると、若い頃の母と晩節の母は優しく、明らかに更年期の頃の母はふさぎ込んだり、明るくなったり躁鬱病のようだった。マリリンさんの更年期は想像を絶するが、男に生まれて良かったと心から思う。男にも馬にも更年期があると言うが、私の更年期は、毎日午前様をやってる間に雲散霧消したようだ。人に会いたくなく、外出ばかりして、更年期を迎えた古参の経理課長から、決裁印が必要なのにと、よく叱られた。
父は昨年旅立ち、母が残った。母は今年卒寿を迎えた。施設で車椅子の生活だが認知症もなく元気で穏やかに暮らしている。

2012/07/06 (Fri) 03:53 | ナガクテカイザ- #- | URL | 編集

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