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さよなら、筑紫哲也さん

 ジャーナリストの筑紫哲也さんが亡くなった。その訃報を聞いた時に、去年亡くなった市民運動家であり作家である小田実さんの死がダブった。

 このお二人の共通点は、激動の時代に生まれ、激動の時代を生き、戦争を忌み嫌い、平和を愛したという点かもしれない。しかも、悲しいかな、このお二人に続く人材は、もはや、現代の日本の社会には生まれないだろう。アメリカの大統領に黒人初のオバマさんが登場するのを見届けてご逝去されたのも、なんだかとっても筑紫哲也さんらしい。

 しかし、そうは言っても、今は強い喪失感に打ちひしがれている。

 ただ一つ、筑紫さんと小田さんの相違点を探すのなら、筑紫さんはちょっとだけミーハーなシネマディクトだったということかもしれない。映画を見る目はあくまでも庶民の目線、それがたまらない魅力だった。日本を代表するジャーナリスト・筑紫哲也ではあるが、その背後にあるサブカルチャー、それは映画であったりオペラであったり、私はそのバランス感覚のある筑紫哲也さんに酔いしれていた。

 私にとっての筑紫哲也さんは映画を愛する少年みたいな人だった。

 そこで、マリリン宛てに映画の部分での筑紫さんへの追悼文が届いた。マリリンのブログに今回の筑紫さんの死がなぜ書かれていなかったかのかという、おたよりと一緒だった。

 そのメールをご本人の了解を得て、ここに転載する。お書きになった方は私同様、筑紫哲也さんの映画カルチャーの部分に惚れた方である。とても説得力があり、在りし日の映画人だった筑紫哲也さんを偲びたい。

合掌。


 「貴方の存在を初めて知ったのは、今から約30年前のTV朝日「こちらデスク」のキャスター時代でした。
 当時、私はロッキード事件追求の市民運動に関わっていて、運動の事務所が四谷にあった。その事務所に番組がスタートしたばかりの「こちらデスク」のスタッフが何人も大勢やってきて、テレビ朝日のスタジオと2元中継でロッキード事件追求の報道が、生で全国に中継されたのです。
 右も左もほとんどわからない学生時代最後を迎えていた私は、テレビの収録をするために、カメラやら照明やら音声、リポーターとスタッフが大勢関わることに驚きました。と同時に、「こちらデスク」という番組が夕方のゴールデンタイムに、市民運動そのものを生でスタジオと二元でやりとりする手法にも驚きました。そして、何よりもその時、スタジオでキャスターをしていた筑紫哲也という硬い印象の強かった朝日新聞記者出身のロン毛の颯爽としたスタイルに強く惹かれたのです。
 スタジオのやり取りは忘れてしまいましたが、私たちの中心的なメンバーとの鋭いやり取りだけは強い印象として残っています。番組の作り方とともに、筑紫キャスターの際立った個性なくしては、あの番組はなかった。筑紫さんの柔軟な思考、スタンスに、いっぺんに私は虜になりました。
 しかし、その時、後年、仕事で私があなたの映画単行本を世に送り出す担当者になるとは、夢にも思わなかったのです。以来、筑紫さんは私の憧れでした。私が知るジャーナリストの中で、筑紫さんほと常に座標軸がきちんと定まり、ぶれる人はなかった。どんな事件、現象にも冷静に、分かりやすくアプローチし、私たちに伝え、あるいは表現してくれました。
 そんな筑紫さんが、他のジャーナリストとひと際異なる点がサブカルチャーに造詣が深いという点でした。特に映画に対しては、人一倍愛情を示す人だった。映画の話をすると、俳優のことよりも監督の話をするのが好きだった。最初は社会時評と同様に俯瞰で、その作品や監督論になるのですが、最後はこの監督のこういう所が好きだな、ということに話が終始する。オリバー・ストーン、パトリス・ルコント監督の話になると、本当ににこやかに楽しく話す姿が今でも目に浮かびます。
 「なぜ、そんなに映画がお好きなのですか?」と、尋ねた答えが「アルピニストが、そこに山があるから登るんですと答えたように、そこに映画があるからかだよ」と、おっしゃいました。つまり映画が好きには理屈はいらない、ただ単に好きだからかでいい、ということなのでしょう。映画好きが高じて、中学校時代に学校側に「映画鑑賞会」を働きかけて実現したこと。お父上の仕事の関係から映画チケットが無料で回ってきて、映画三昧に明け暮れた高校時代のこと。早稲田大学に入っても、その熱はおさまるどころか、ますます高じて、映画のみならず、他のサブカルチャーの世界も対象にお広げになったこと。記者という社会人になっても、時間が空けば映画館に入り浸っていたことも、楽しそうに話してくれました。
 「ニュース23」のキャスターに転進しても、映画への愛情は変わらなかった。こまめに試写情報を入手し、時間を見ては試写室通いをお続けになっていた。この努力が、夏と年末の、おすぎさんとの金曜深夜便のシネマトーク企画につながり、業界関係者はもとより、一般の映画ファンのよりどころの番組になりました。
 ジャーナリストとしての筑紫哲也さんは偉大です。今後、筑紫さんを超えるジャーナリストの誕生を待ち続けるつもりですが、多分、現れることはないと思っております。しかし、私にとっての筑紫さんは、ジャーナリスト以上に、映画のジレッタントだったような気がしてならないのです。
 その筑紫さんとも、もうお目にかかる機会がなくなり、映画やスポーツのお話を伺うことができなくなりました。私のようなつまらない人間の話も熱心に聞いてくださる懐の深い暖かい方でもありました。突然の訃報で、今は喪失感で一杯です。
 月並みな言葉しかありませんが、心からご冥福をお祈りいたします。」
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