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被災地視察レポ③石巻

石巻門脇小学校
(戦争の跡地のような門脇小学校)

石巻門脇小学校ランドセル
(生徒のランドセルが1年4ヶ月たつにもかかわらず放置されている)

石巻門脇小学校2
(壊滅的な校舎。地震と津波と火災、胸が痛くなる)

石巻日日新聞小
(現在の石巻日日新聞社)

石巻日日新聞3月12日号
(手書きで書かれた壁新聞。3・11の翌日から記者やカメラマンが報道した)


門脇小学校野球

(廃墟の前で、野球部の子供たちが未来に向けてバットを振っている)



怒りというよりも、虚しさで心がパンパンになった。

市民の血税で集められた復興税が、被災地のために使われず、官庁施設の改修費などに使われていたという事実。

復興予算という庶民の善意で集められたものが、復興のためでないことに使う国なんて日本だけじゃないの?

振込み詐欺みたいなことを国が率先してやっている民主党は、ここまで落ちてしまった。


怒りより虚しさと絶望。

訪れた被災地の人たちの気持ちを考えると、情けない。そして悔しい!

山元町、気仙沼と、最後に訪れたのが石巻だった。石巻には親戚や知り合いがいなかったので、その現状をかなり
冷静に客観的に見ることができたと思う。

この3被災地に共通することは、一向に復興が進んでいなかったという忌々しい事実である。
瓦礫は集められた集積所に山のように並び、他県への受け入れがない限り、ずっとこのままである。津波で流されてしまった家々の土台だけが、壊れた将棋版のように無造作に、だだっ広く並んでいた。

車で移動中、長崎、広島の原爆の跡地みたいな廃墟が目に入った。門脇小学校だった。
幸い、生徒たちは学校の裏山に逃げたので、犠牲者は最小限度に済んだもの、何名かの幼い命が奪われたことも事実である。

巨大地震、火災、そして大津波に襲われた小学校。教室の中を覗くと、ランドセルが放置され、黒板には3月11日の日直さんの名前が書かれていた。

背筋が凍りつくような凄惨さに言葉も出なかった。

57年間も生きていれば、色々と悲しくてやるせないシーンに遭遇することも多々あったけど、この門脇小学校の酷さは頭に焼き付いて離れない。

何よりも、敵が自然現象であるからこそ、怒りの矛先のぶつけようもなかった。

この日、廃墟になった校庭で、野球部の生徒が野球の練習をしていた。命の助かった生徒の保護者の方がいらしたので、あの日のことを聞いてみたが、言葉は重かった。

しかし、助かった生徒たちは泣いてばかりはいられない。少しでも元の生活を取り戻そうと前向きに生きている。


石巻新聞社。

ここは被災後、テレビのドラマにもなった地元新聞社である。一階は津波で飲まれたが、幸い2階だけの社屋は無事だった。パソコンも輪転機もない状態の中で、記者やカメラマンは命を張って、手書きの壁新聞を作り、各避難所の被災者に情報を発信した。

これこそ報道の原点なのかもしれない。この壁新聞の情報により、たくさんの被災者の方が生き延びることができたと言っても過言ではない。


まだまだ、心に残る痛いシーンはたくさんあった。

1000年に一度という未曾有の大災害を、この目で見てきたことは、私の人生に何かを与えてくれた。

その何かがやるせないものであったり、怒りであったり、悲しみであったりと。

しかしどんなに逆境の中でも、山元町のおばーちゃん、気仙沼の叔父夫妻のたくましさ、そして、廃墟の前でもめげることなくバットを振り上げ、大好きな野球に興じ、元の生活に戻そうとする門脇小学校の野球部の子供たち。

幼い球児がパーんとヒットを打った。勢いのいい音が心地よく響き、大空に向かってボールが飛んでいく。

そのボールが負けないぞ!絶対に負けないぞ!と言わんばかりに、未来への希望と夢へと誘っていた。。

どんな絶望の中でも、人は生きていける。


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