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あれから1年~東日本大震災

東日本大震災から1年。まずは、尊い命を奪われた1万5千人強の方へお悔やみ申し上げます。そして、大切なご家族、ご友人を亡くされたご遺族の方々に、本当にありきたりの言葉しか言えませんが、お見舞い申し上げます。

去年の3月11日2時46分。私はヒップホップのレッスンを受けるために出かけようとしていました。玄関のドアを開けた瞬間、それは恐ろしいほどの大きな揺れを感じました。体がどこかにもっていかれてしまいそうな揺れでしたが、幸い、家の中を行ったりきたり、うろたえたりするゆとりがありました。それは、私の住んでいる所が震度5弱だったからかもしれません。

マグニチュード9という震源地の近くがどれだけの揺れだったかは、多分、そこにいらした被災地の方々しか味わえないような想像を絶するような揺れだったと心中お察ししています。また、そこから生じた大津波、そして原発事故という、これもまた誰もが味わったことのない比類のない被害に見舞われた被災地の方々のお辛さ、いや辛いなんていう言葉で片付けることができないのは重々承知していますが、今は「お辛い」という言葉しか、私の頭の浮かびません。

さて、1年たって、私が変わったことと言えば、あの日以来、毎日のように起こる余震への恐怖です。いつかは訪れる首都圏直下型地震、東海、東南海、南海地震。東日本大震災を機に、日本列島は地震活動が活発化し、日本中のどこで巨大地震が起こってもおかしくないという我が祖国・日本。

そんな地震の巣窟みたいな所に住んでいることは確かです。地震とギャンブルを例えてはいけませんが、今の私は大好きな競馬よりも、毎日生きることが命をかけた大博打をやっているような感がしてなりません。何が起こるか分からない大自然災害のリスクに置かれた日本の土地の上に住んでいること自体が、生死をかけたギャンブルなのだと思いました。

でも、どうすることもできません。大金持ちなら地震のない大好きなフランスのパリに引っ越すこともできますが、私にはそんな財力も資産もありません。

でも、思うのです。今、私は逃げてはいけないのです。ある使命が私の心の中に生まれました。それは原発事故を阻止していくことなのです。阻止するなんていう大きなことはできなくても、日々原発の存在を否定していくこと、語ることこそ私の使命だと思ったのです。

日本に原発が初めてできたのが、確か私が高校生の頃だったと思います。「原発」という言葉は、そのまま何のこだわりもなく、私の頭の中をスルーしていき、横溢する電気の恩恵にあぐらをかいて暮らしていたのも事実です。

あの頃、もし、今回のような福島原発事故が起こっていたら、そして原発の怖さを知っていたなら、私は即座に原発に反対していたでしょう。

しかし、過去を振り返って後悔しても何にもなりません。今は、地震の巣の上にある日本列島の全ての原発を止めることを訴えていきたいと思っています。

57年間も生きてきて、私は初めて原発の怖さが身に沁みました。これはちょっと遅すぎたのかもしれませんが、東日本大震災以後、私は何よりも原発の恐ろしさを知ったのです。

1度建ててしまったら、永遠にと言っていいほど人類の手で決して消滅させることができない原発。人類から未来を奪ってしまうかも知れないこの恐ろしい物体。核の平和利用なんて絶対にあり得ないのです。

東日本大震災はそのことを強く私に教えてくれました。
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