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ただひたすら、おにぎりを握っていた…。

まだまだ予断を許さない福島原発事故。

チェルノブイリは10日間、スリーマイル島は7日間で、原発事故はあれ程度まで収束した。日本はもう3週間になるじゃないか。

管さんにも東電にも、いっぱい文句を言いたいことがあるが、今は現場で命がけで危険な作業をしている関係者の安全と、早い終息を願うだけだ。

今週も不安だらけだったが、サッカー日本代表対Jリーグ選抜の試合には涙が出た。44歳のカズが見事にゴールを決めたくれた!カズダンス健在。やっぱり、日本のサッカーは三浦カズ無くして存在しないと思った。被災地のサッカーファンにも励みになってくれただろう。

やっと友達とご飯を食べる気分になったので、幼馴染3人とランチした。ちょっと椅子がきしんだだけで、「地震?」と、友達も私ビビッてしまう。

一種の地震ウツ、地震ノイローゼにかかっているんだろう。あれだけの衝撃的な揺れを体験してしまったのだから。

「巨大地震後、何をした?」と、一人が言った。

「私は怖くて、家の中で布団をかぶり、テレビをつけて家族の帰宅を待っていたの。余震が来るたびに震えていた」と。

「私はスポーツクラブのお風呂にいたの。ゴーンという音がして、お風呂のお水が波打ってきたの。真っ裸でしょ。とにかくバスタオルだけ巻いて、スタッフの指示に従い震えていたの」

私はと言えば、巨大地震後、断水になってしまったが幸い電気がついていたので、炊飯器でお米を5合も炊いて、ひたすらオニギリを作っていた。

今、考えると、10分置きに震度4くらいの余震が続いている中で、よくオニギリ30個も作ったなと自分ながら驚いている。

人間は究極の恐怖を味わうと、咄嗟に食への危機管理が高まり、なんとか保存しようとする防衛本能が働くのかもしれない。

そして、思うのだ。やはり、日本人はオニギリなのだ。

避難所の人たちが真っ先に口にできたのはオニギリ。

オニギリに敬意を表してあげたい。
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ベトナムからも心暖まるメールが

今年の1月、ベトナムのフートー競馬場に取材に行った時、お世話になったハノイ在住で旅行代理店を経営している新妻東一さんから、心暖まるメールが届いた。

新妻さんが日本人であることから、ベトナムの人々が皆心配してくれているという。そして、義援金まで集めようとしてくれているそうだ。

私も新妻さんのおかげで、フートー競馬場の元騎手ラムさん、競馬主任のフーさん、英語日本語フランス語を自由自在に使い分ける通訳のミーさんとお近づきになれた。

経済が発展し始めたとはいえ、日本に比べたら、まだまだ貧しい人々が多い。それにも関わらず、義援金を集めてくれている姿を思うと…。

まだまだ余震は続き、緊急地震情報の音が鳴ると、心臓がドキドキして怖くてならない。そんな不安な毎日だけど、このメッセージには心がホッかりと暖まった。


節電の効果

夜6時20分から10時までの計画停電を初めて経験した。

懐中電灯、子供の誕生日に使っていたろうそくと明かりを出すものはそれほど多くなかったが、食卓のテーブルに並べた。

もちろん、電気が来なければご飯の支度もできないと思い、この日は、「すき屋」で家族分の牛丼を買っておいた。

6時20分を回った頃、家族から「停電になった?」と連絡あったが、まだ電気は点いていた。それから30分後に突然、本当に突然に「ぴしゃっ」と消えた。

一瞬びびった。外も真っ暗なので、本当に何も見えないのだ。用意してあった懐中電灯を手探りで探し、点けると、その明かりがどれだけありがたいかと痛感した。

私の子供の頃は、台風や落雷で停電することはしょっちゅうあったが、思えば、もう50年間はこんな大規模な停電を経験していないことを思い出した。

ろうそくに火をつける。ゆらゆらとまったりとした炎が部屋に暖かさを与えてくれた。ありがたかった。

娘が帰宅し、居間に来ると

「わーっ、ママ、本当に真っ暗なんだね。こんなこと初めてだよ」と、驚いていた。娘がこんな不安そうな顔をするのも初めてみた。

「被災地の人はあの3月11日の午後2時46分から、ずっと、ずっと、毎日、こんな真っ暗の中で生きているんだよね。計画停電は3時間くらいで終わるけど、電気も水もガスもない所で、10日以上も飢えと寒さに闘っているんだよね。まだまだママやウチラは幸せだよね。明日からもっと節電しようね」」

娘がうっすら涙を流しながら言った。懐中電灯一個とろうそくの炎の明かりだけで、母と娘は牛丼を食べた。「被災地の人に早く暖かい牛丼を食べさせてあげられたらいいね」と、食べるのを悪がるようにして娘は箸をつけていた。

いつも行くスーパー、デパートも照明を落としているけど、ちっとも不自由しない。むしろ、あの明るさは一体なんだったんだろうか?と疑問にさえ思えてきた。仄暗い町の風景は、照明を落とすことによって、さらに綺麗に映し出されていた。

これから、私たちは生きるための電気を確保していかなければならない。それが、いつまで続くかわからない。当たり前にあると思った電気君、お水君、ガス君を大切に大切に使っていってあげることこそ、未曾有の大災害にあった私たち人間としての矜持ではないだろうか。

気仙沼で行方不明になっていた叔父夫婦の生存が確認されました。

大津波後、行方不明になり、全く連絡が取れなかった叔父夫婦の生存がたった今、確認できました。

津波後、着の身着のままで裏の高台に逃げ、避難していたそうです。今は食料もお金も一銭もない状態なので、近くに住む親戚が物資を届けに行ってくれるそうです。

本当にホッとしました。


しかし、まだまだ、行方不明の方が2千人弱とのこと。その数以上にご家族、お友達、お知り合いが心配しています。どうか、一人でも多くの方が、どこかに避難して、生きていてくれることだけをお祈り申し上げます。

ご心配おかけしました皆様、ご協力をしてくださった皆様、本当にありがとうございました!

安否情報

歴史始まって以来の災害に見舞われた東日本。

東北関東大震災の復旧もままならぬず、未だに行方不明者の安否も未確認になっています。

そして、「死者に鞭打つ」とはこのことを言うのでしょう。福島原発の損傷からの放射能漏れ。

今や日本は最大の危機の下にいます。

しかし、現場で命がけで被害者を助けるレスキュー隊、自衛隊、ボランティアの方々の力強い支援には頭が下がります。

自ら被害に合いながらも、お互いに助け合う被災地の方々の勇気とたくましさと強さには、被害が少なかった私が反対に励まされております。

ところで、気仙沼の津波後に避難所にいる方々の被災者の方、その関係者の方々の掲示板が写真付でアップされているサイトを、Facebookのお友達が教えてくださいました。気仙沼以外のたくさんの避難所の方直筆の掲示板が載っておりますので、お役に立てれば光栄です。

安否情報

           ↑  
 こちらにアクセスしてみてください。多少お読みにくいかもしれませんが、ご利用してみてください。

避難所にテレビカメラを入れて!

加入しているFACEBOOK、ミクシーでも、情報を求めています。

気仙沼の被災地では電気はない、水はない、もちろん電話もつながらない状態です。

仙台出身のお笑い芸人のサンドウィッチマンの伊達さんは気仙沼の仕事中、被害にあったことを今テレビで話していました。

放送で「津波の被害のシーンだけを流すのはもうたくさん、避難所の場所に入って、生存者の顔をもっと映してくれ」と、言っていました。本当にその通りです。

後、マスメディアは避難地を取材する時に、救援物資を持っていくことができないのでしょうか?ヘリコプターに少しでもいいから、お水を乗せて、少量の食料を分けてあげる事くらいできないのでしょうか?

それすらできない状況なのでしょうか?

気仙沼の状況を教えてください

気仙沼に叔父夫婦が住んでいます。

大津波後、ずっとずっと連絡が取れません。親戚中がとても心配しております。

東日本中が大参事のこと、心が痛んでなりません。

とても個人的なことで誠に申し訳ありませんが、何か情報がある方はご連絡ください。

東北関東大地震~負けてはいられないぞ!

2011年3月11日(金曜日)、午後2時46分

晴天の朝、いつものように、お洗濯をして、いつものようにお掃除をして、「笑っていいとも」を見ながらお昼ご飯を食べて、外出の支度をして、玄関のドアを開けた瞬間だった。

最初は横揺れで大した地震じゃないな、いつもあるような地震くらいかなと、揺れが治まるのを玄関で待っていた。

しかし、その揺れはどんどんと大きくなり、ミシミシという音を立てながら、かつて経験したことのない巨大な揺れに変わっていった。ニュージーランドのクライストチャーチの地震の恐怖が覚めやらぬ私は、咄嗟に部屋に戻り、部屋中の窓を開け、少ない保存食箱を持って、外に出た。

そこからだ。駐車場にある車たちが、まるで、ダンスを踊るかのように、浮き上がったり、左右に動いたり、車同士が車体をぶつけ合うほどの揺れが襲ってきた。

立っていられないほどのグラグラとした横揺れが、さらに大きくなり、電線や植木が激しく揺さぶられ、建物そのものが、本当に揺れている。

このまま、日本は沈没してしまうのか?そんな恐怖で、一瞬私は「死」を予期した。乳飲み子を抱いた若いお母さんも外に飛び出してきて、しゃがんでいる。顔見知りの近所の人たちは真っ青になって飛び出してきた。

みんなが最大の恐怖の中でたむろっていた。

なんとか、揺れの振幅が少なくなってきたので、「あー、良かった。もう揺れが治まったのかもしれないですね」と、声をかけあって、ホッとしていた。家の中がめちゃくちゃになっているかもしれないから、一端、皆は部屋の様子を見に行った。

それから、わずか20分後くらいだろうか。また大きな揺れがやってきた。しかし、私はこれは余震だから、さっきみたいな巨大な揺れは来ないだろうと、たかをくくっていた。しかし、2度目の揺れは最初の揺れ以上に激しくなってきた。

また、私は外に出た。みんな出てきた。

ホッとしたのも束の間、私たちは、また集まって、恐怖におののきながら揺れが治まるのを神様に祈っていた。

1度目の地震の震源地が3陸沖、2度目が茨城沖。後でわかったのは、2回とも東日本を切断してしまうような、本震であったことだ。

巨大地震がタイムラグもなく2つも同時に襲ってきたのだ。

その後の被害の悲惨さは、誰もがテレビで見て茫然自失になってただろう。

私の主人の郷里は宮城県の震度7と指定された地域だった。

携帯のYAHOOニュースで震源地と震度を知った。

夫も娘も都内の会社にいる。息子はたまたまお休みだったので車で彼女とデートしていた。震源地から離れているも、この巨大地震は普通ではない。怪我をしてないか、無事なのか?そればかりが気になった。

携帯に電話しても誰にもつながらない。携帯の無力さを感じていた。あらゆる文明は自然の脅威には叶わないのだ。そんなことを思った。

巨大な余震が数分置きにやってくる中、家に戻り、大きな家具のない部屋に避難していた。テレビをつけると、岩手、宮城、福島の被害の様子が少しだけ映ってきた。

瞬間、津波警報が出されたが、数分も待つことなく、今度は巨大な津波が岩手、宮城、福島沖を襲ってきた。

「こわい…。どうしよう…」

たった一人で家にいるのが怖かった。夫、娘、息子の携帯に電話しても相変わらずつながらない。

とにかくお水を確保しようと、蛇口をひねるとすでに水が出なかった。

備蓄してある水を数本確認した。

ただひたすら、やることはメールを打ったり、電話をかけ、電話を待つことだけだった。

孤独だった。怖かった。午後2時46分後、日本はのどかな午後から、阿鼻叫喚の地獄と変わってしまった。

やっと、6時を回った頃に、家族の無事を確認した。

ホッとした。

しかし、その後のニュースで行方不明者の数の多さ、そして、いまだに家族の安否がわからない人々の気持ちを察すると素直に喜ぶ気になれなかった。

いてもたってもいられず、マンションの管理人さんの事務所に行き、近所の人たちと一緒になって、非常水の確保に東奔西走していた。

赤ちゃんを抱いた若いお母さんも、子供を抱きながら非常水を運んでいた。そんな非常事態でも、赤ちゃんはうれしそうに笑っていた。

その笑顔に癒されていた。

みんな同じ思いだった。みんなが助け合うこと、今はそれしかない。

みんな同じ思いで動いていた。

被害地の死者の数は万単位になるだろかもしれない。助けを待つ生存者の所に救援は着いていない。

この世の地獄だ。

しかし、しかし、悲観してはいけない。広島、長崎の原爆から、日本は見事に立ち直った。日本人は世界一強い民族だ。

負けてはいけない!負けてはいられない!強い気持ち、人を助ける気持ち。

負けてはいられない!

みんな、負けちゃだめだ!

心(ここ)ちゃんの命


熊本で3歳になる幼女がスーパーのトイレで殺害された。

犯人は20歳の大学生だった。いつも行くスーパーのトイレでまさか自分の娘が殺害されるとは親御さんも思ってもみなかっただろう。

私も二人の子供を育てた。

殺された心(ここ)ちゃんは4人兄弟の末っ子。親というのは、初めての子には必要以上に手をかけ干渉をするが、下になるほどそれがゆるくなる。だからこそ、長男や長女よりも、下の子供は自立心が旺盛で、たくましくなるのだ。

当たり前のことである。

私の娘が幼稚園の年少の頃、今の心(ここ)ちゃんみたいな年の頃に、スーパーのレジに並んでいた時、娘が「おしっこ」と言った。いつも行くスーパーのトイレで勝手を知っている娘だから、「一人で行っておいで」と、何度も言ったことがあった。しかし、何も起こらず、娘はさっぱりとして可愛い顔で私の手元に戻ってきた。

20年前の話だ。

その時代、こんな猟奇的な事件は皆無だった。犯人がロリコンだがなんだが知らないけど、殺した後に空だったリュックに死体詰め込んで膨らませ、自転車で移動して川に捨てる。そんな残酷な犯罪者はいなかった。

恐ろしい。

きっと、心(ここ)ちゃんのお母様は自分を責めているだろう。一緒にトイレに行ってあげていたら、娘は殺されずにすんだのだと。そのお辛いお気持ちを察すると、今は怒りをどこにぶつけていいのかわからない。

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