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日本ペンクラブにオスマン・サンコンさんが入会しました!

オースマン・サンコン

(サンコンさんにご承諾を得てツーショットをアップしました。とても楽しいひと時でした)


2月15日(火)

今年最初の日本ペンクラブの例会に出席。

会場の東京會舘周辺はほんと静かで綺麗。いつも思うけど。

旅行作家の近藤節夫さん、立正大学教授の山本澄子さん、電子文藝館委員会委員長の大原雄さん、山岳作家の穂高健一さん、理事の小中陽太郎さん、常務理事の吉岡忍さんと、しばし歓談。

二次会は有楽町の「金陵」で。フェイスブックやツイッターが搾取され続けてきた国民を扇動し、ついには、エジプトのムバラク大統領を退陣させてしまった。

ネットの力がデモのあり方を変えた、そんな話で盛り上がる。私はツイッターはやっていないが、フェイスブックを始めたばかりだ。発信したいことは山ほどあるのだが、まだまだ操作方法がわからないのだ。

ま、私の発信したいことは世界に向けて、政治的なことよりも、競馬や映画などのエンタメなんだけど...。

ところで、今回の例会の大ヒットは、あのオスマン・サンコンさんがペンに入会されたこと。サンコンさんはタレント活動だけでなく、文筆業にも熱心にこなしているという。元々、ソルボンヌ大学出でギニアの外交官、超エリートであることは周知の事実。

気さくで面白いサンコンさんとたくさんお話できて超ラッキーだった。





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戦争証跡博物館~ホーチミン

メコン川を泳いで逃げる母子
(日本人戦場カメラマン故・沢田教一氏がピューリッツァ賞を受賞した「安全への逃避」。沢田教一さんは34歳の若さで戦場でその命を散らした)


戦争証跡博物館の全景
(戦争証跡博物館の全景)


戦争証跡館前の戦車
(戦争証跡博物館の前に陳列された戦車。観光名所になっているものの、こういった博物館に世界の人々が訪れることは素晴らしいことである)




1975年4月30日、約10年にわたり、南北ベトナムで凄惨な戦争を繰り返していたベトナム戦争が終結した。

この戦争の犠牲者の80パーセントが全てベトナムの農民であったこと、そして、未だにあの戦争の傷跡を心に抱えて生きている元米兵たちも犠牲者の一人に違いない。

そのベトナム戦争の貴重な資料を保存してあるのが、ホーチミンのメインストーリト・ドンコイ通りにある「戦争証跡博物館」である。

私が一番行きたかった場所である。

というのも、館内に展示されている、ベトナム戦争を撮り続けた故・沢田教一氏や枯葉剤の悲劇をリアルにお撮りになった石川文洋氏の写真が絶対に見たかったからである。

日本では何度か拝見していたが、戦争の中心となったホーチミン(いえ、サイゴンと言いたい)で、彼らの写真を絶対に見てみたかった。

沢田教一氏の銃弾を避けながらメコン川を渡る母と子供たちを捉えた写真「安全への逃避」はピューリッツァ賞を受賞した。

戦争の現場となった現地で拝見した瞬間、私は感極まって、涙が流れてしまった。鑑賞していた世界中の観光客がこの写真の前で立ち止ませり、うっすらと涙を浮かべていた。

幸いなことに、この母子は無事に逃げることができたという。

戦争の犠牲者はいつでも庶民、そして、力ない母親と子供たちなのである。

これだけ経済が発展し、これだけ勢いがあるベトナムでもあるが、この戦争の傷跡は永遠に消えることはないのだろう。






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