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さよなら…「蒲田行進曲」~つかこうへいさんを偲んで

つかこうへいさんが亡くなった。

先のブログにも書いたが、2月2日新橋演舞場でつかこうへいさん演出の「飛龍伝 2010ラストプリンセス」
のゲネプロを見せていただいた。

思えば、この作品がつかさんの遺作となってしまったと思うと、最後のつか作品を見ることができたことは貴重でもあり、一方では悲しい思い出となってしまった。

肺がんを患われていたのは知っていたが、ゲネプロに姿を現すことがなかったので、もしかしたらかなり病は進行しているのかもしれないと心配だった。

その嫌な予感が的中してしまった。

「飛龍伝 2010ラストプリンセス」の強烈なインパクトが、また頭の中に蘇ってきた。
遺作であるがゆえに、今までないつかさんの迫力が込められていたからかもしれない。

どんなに汚い差別的セリフや暴力的シーンが出てきても、いつの間にかその暴言や差別が、実は貧しく弱い人々に対する深い愛情や応援歌にすり替わってくる瞬間がたまらない。

屈折した偽悪的な人間の中に、「優しさや善」を見出す天才だと思った。

それというのも、つかさんご自身が在日韓国人2世であったことが大きい。終戦を迎えた日本という国で在日韓国人として生きてきたつかさんの苦労や辛酸が、強烈で暴力的な言葉を借りて、実は「弱者への救済と愛」というパラドックス的表現に変わるからである。


そう思うと、「蒲田行進曲」の銀ちゃんとヤスさんのあの対照的な人物像は、常につかさんの心の中に住んでいた葛藤と共存を描いていたのかもしれない。

今ここに、間接的であるが、つかこうへい事務所からつかさんご本人の遺書のファックスが届いた。

 「友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。

  思えば恥の多い人生でございました。

  先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。

  私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
 
  通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。

  しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。

  今まで過分なる御厚意、本当にありがとうございます。

            2010年1月1日  つかこうへい  」


 
  つかこうへいさんは最後の最後までカッコいい人だった。この遺書を拝見した瞬間、急に涙があふれていた。

 散骨は対馬海峡でとのこと。

 つかこうへいさんのペンネームの由来は「いつかこうへい」な世の中になること祈願してつけられたことは有名な話で、そこから「い」が抜けて「つかこうへい」になったという。

 つかさんが残した遺書は「戦争のない平和な世界」を求めてやまない大きなメッセージとしても、後世に引き継がれていくと信じている。

また、そうならなければならない。
                    合掌



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教養講座講師としてケーブルテレビにデビュー!

講演会「淀川長冶さんのちょっとイイ話」10年6月30日 ブログ
6月30日(水)

船橋南老人福祉センターから、教養講座の講師としての依頼を受け、「淀川長冶さんのちょっとイイ話」というテーマで話した。

映画評論家・淀川長冶さんと言えば映画の神様。私を映画の世界へ導いてくれた大恩人である。こういった素晴らしい企画で講演させていただけ、本当にうれしかった。

私が淀川長冶さんと初めてお会いしたのが、今から33年前、日刊ゲンダイの記者をやっていた時だ。各界の著名人の故郷を語っていただくページを担当していた。故・三木武夫総理、故・橋本龍太郎(この時は厚生大臣)新日鉄の斉藤英四郎社長、沢田研二、石川さゆりなどなど、数え切れないほどの70年代を席捲した時の人々をインタビューできたことは貴重な体験だった。


その中でも、私が一番印象に残っているのが、尊敬してやまない淀川長冶さんだった。淀川さんを前にして、私は蛇に睨まれた蛙のごとき、実は緊張して何もしゃべれなかった。しかし、そんなひよっこ記者を前に淀川さんは「誰でも新米の頃はそうなのよ。気にしないでいいから、なんでも聞いてね」と、優しく笑顔でおっしゃってくれた。

この言葉にすっかりリラックスした私は、淀川さんのお生まれ育った神戸のお話を存分にお聞きすることができた。

淀川さんをインタビューできたことは、私の人生の最大の名誉であり財産でもある。


講演内容は、淀川長冶さんのと出会いから、淀川さんの人生そして幅広い交友関係など、私の知る限りの知識を会場の皆様に話した。

約1時間の講演を終えると、会場は大拍手。「とても楽しく素敵なお話でした!」と、大好評だったのでホッとした。


ところで、今回の講演会には船橋習志野のケーブルテレビが入り、中継してくれた。翌日、ニューストピックスとして放映された。

が、ここで驚きだったのは、テレビに映る自分だ。

スポーツクラブで筋トレ、有酸素運動を欠かさずやっているにも関わらず、画面に映る自分はマツコデラックス並みのおデブちゃんだったからだ。

テレビ画面は実際よりも太って見えるとは聞いていたが、ここまで太っていたとは!!!!

自信喪失…。

マジにへこみ、これからテレビ出演の依頼がいつ来てもいいように(ま、2度とくることないかもしれないが)、さらに運動の強化とダイエットをせねばと心に誓った。

淀川長冶さんは時空を超えて、マリリンのおデブぶりを世間に露見させ、痩せることを忠告なさってくれた。

映画の師は人生の師でもあったのだ。
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