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ロック&ポップスコース開設~洗足学園音楽大学

従姉妹の息子から、

「おばさん、家の大学で来年からロック&ポップス科という学部が開設になって、そのプレイイベントがあるから、見にきてくれないかなー」というお誘いを受けた。

彼は洗足学園音楽大学大学院の音響デザインの学生で、日々新しい音楽を追求し、感性を練磨させながら、頑張っている。

大学の学部でロック&ポップス科が開設されるのは、日本初の試みだそうだ。こりゃー、面白そうだと思い、イベント会場の「東京芸術劇場」に見に行った。

コンセプトが「BACK TO THE ROOTS」というのも気に入った。出演者は甲斐バンド、ゆず、などを生み出したプロデューサーの前野知常さん、元甲斐バンドの松藤英男さんと田中一郎さんなどなど。

ビートルズから始まり、現在に至るまでのロックやポップスの歴史を、音楽評論家の井口吾郎さんが曲の合間に解説してくれた。

69年、ニューヨークの「ウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティバル」の話題になった時は懐かしくて、感激だった。この時代の音楽は「愛と平和」。ジミー・ヘンドリックスの「PURPLE HAZE」、ジャニス・ジョップリンの「MOVE OVER」が耳に飛び込んできた時は、興奮で手を振り上げていた。

その後、ロックは、プログレッシブ、ラテン、プラス、アメリカンハード、プリティッシュハードロックと様々な個性を持って姿を変えていった。

閉めの「ブラックナイト」と「ロックンロール」では、目の前にディープパープルとレッド・ツェッペリンが現れたのではないかと思うほどの迫力だった。

映画「スクール・オブ・ロック」でジャック・ブラックが、「学校ではレッド・ツェッペリンも教えねーのか」と言う名セリフを残したが、日本の大学で待望のロック科が登場する。

これからの日本を担おう学生たちが、ロックの原点を学び、それを伝授していく。素晴らしいことである。

従姉妹の息子に、

「オバサンも入学したいよー」と言ったら、

「まだまだ社会人枠はないみたいだよ」と答えが帰ってきた。

うーん。ロックオバサンも真剣に勉強して、一般受験でトライしてみようかな…。
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出久根達郎さんの講演~日本ペンクラブ例会

 先日、日本ペンクラブの例会が「東京會舘」で行われた。

 今回の講演会の講師が直木賞作家の出久根達郎さんで、テーマが「古本屋になるまで」だったので、これを楽しみに伺った。

 会長の阿刀田高氏、専務理事の浅田次郎氏、常務理事の吉岡忍氏が、どんなに多忙であろうとも、ちゃんとペンの例会にはご出席しているので、やはり「日本ペンクラブ」の活動がいかに意義のあるものかが伝わってくる。

 でも、いつも思うのだが、ペンクラブ会員の方たちの高齢化である。会員の中では私が一番若いのが驚きなのだ。もっと若い作家たちの入会がなければ、ペンクラブは「老人福祉センター」のようになってしまうようで心配だ。

 2010年には日本で「国際ペン大会」が大規模で開催予定だ。これも日本のジャーナリズムにとって、大きな革命を起こすと信じているので、なおさら、若い作家たちの協力が必要になってくると思うのだが…。


 それはともかく、出久根達郎先生の「古本屋になるまで」のお話はとても面白かった。出久根達郎さんは中学卒業後集団就職で、月島の古本屋さんに勤め、その傍らで執筆活動をなさり、直木賞を受賞なさった苦労人である。

 戦後、古本屋で一番売れた本が、英語辞書の「コンサイス」だったそうだ。その理由が実に面白かった。その当時の辞書は薄いペラペラの紙だったので、その紙質が当時の愛煙家にとって煙草を巻くのに最高に適しているから、売れたそうだ。

 このエピソードには大爆笑してしまった。辞書が辞書の役割以上に日常品として重宝していたなんて…。

 そして、出久根先生は日本から「古本屋」が無くなることは、とても危険なことだとおっしゃっていた。「古本屋」にある本こそ、その書店の店長の強烈な個性で並べられた、独特の世界であるからだ。店長の個性でベストセラーだって生まれる。傑作本の水先案内人でもあるのだ。

神田にはよく行くが、古本屋の姿が毎年のように消えていくのは寂しいと思っていた私には、胸がジーンと来るお話だった。


 インターネットの情報に一番助けられている私だが、WEBも現代人にとって必須のものだが、戦前、戦後から読書家の「桃源郷」であった古本屋だけは国家財産として残しておくべきだと思った。新旧を共存させず、伝統のあるものを廃止(建物、劇場、商店街など)、新しいもの、儲かるものにだけ目を向ける日本の体質って、ほんとに良くないと思うのだ。

 海外の例を言うと、かなりキザな奴だと思われるが、フランスに行った時、国の法律で、建物の外観は決して壊してはいけないことを知った。石造りの建物が並んでこそ、パリの街なのだ。六本木のミッドタウンやヒルズみたいになったら、もうそれはパリではないのだ。
 
 こんなフランスのこだわりが、日本にはないのが残念だ。



占い

 占いが好きな私は、毎朝ワイドショーでやっている占いを見ている。「めざましテレビ」の星占いが一番大好きで、私の星・おうし座が何位になっているのかが気になってしょうがない。

 1位になると、その日が1日良くなりそうでウキウキとしてくる。反対に最下位になると、なぜか心配になる。だけど、1位になったからといって、その日が特別いい日であったこともないし、最下位になっても最悪な日になったこともない。

 あんまり当たったためしはないのだが、それでも自分の星の順位が気になるのは、やっぱ、私の精神力が弱いことの証明だと思う。

 書店で雑誌を立ち読みしていても、見たかった記事はもちろん真っ先に読むのだが、必ず巻末にある占いも絶対に読むようにしている。

 それで、最近、ちょっとショックを受けたことがあった。ある若い女性向きの女性誌を読んでいたら、四柱推命という占いのコーナーがあって、「あなたの星を別掲載の表の中から探してください」という注釈があった。その表を見て、自分の生年月日と生まれた時間から自分の運命星を探しださなければならない。

 「ガーン!!!ないじゃん!!私の生年月日が載ってねーよ」

 私は本屋の店頭で叫んでいた。周囲にいた同じ立ち読みの人たちが、びっくりして私を見ていた。

 そうだった。この女性誌はハイティーン向きのギャル系の女性誌で、生年月日の表は1970年代からで、それ以前の年代は載っていなかったのだ。当然、私は1950年代生まれだから、私の運命星を割り出すことは不可能だった。

 この時ほど、自分の年を感じたことがなかった。占いの別表にまで載らないほど、私はアンモナイト級の化石人間になってしまったのかと自信喪失していた。

 こうやって、人は知らないうちに年を取っていく。同じく占いに興味のある私の母は今年84歳になるが、なぜかその時一緒に立ち読みしていた。そして、母も自分の星を知りたがっていたので、

 「ばーちゃんの星なんかわかんないよ。1970年代以降生まれの人しか表に載ってないよ。だから大正13年(1924年)産まれの星なんて永久にわからないよ」
と、腰の曲がったばーちゃんに言ってやった。

そしたら、、
「全くバカにしているよね。ヨーコ。私らはもうあの世に行ってると思うから載せないんだよね。この本の占いはあてにならないねー」と怒っていた。

 もっとも84歳になっても占いを気にしていること自体が変な話なのだが、いずれにしても母娘してその生年月日が載っていないことに、怒り半分、落胆半分だった。

 日本は確かに高齢化になっている。星を割り出す年表も1900年代からやってくれないと、困るかもしれない。100歳以上のお年よりなんか、一杯いるもんね。

 ま、ティーン向きの雑誌でそれを調べた私もかなり無謀だったと反省はしているけど…。

福田総理の最後の仕事~「備えあれば憂いなし」

  テレビ放映で映画『嫌われ松子の一生』を見ながら楽しんでいた友達が、突然画面が変わり、ニュース速報が入ってきて福田総理の辞任宣言になったと、びっくりしていた。

 中島哲也監督の最高傑作『嫌われ松子の一生』の放映中に、忍者ハットリ君総理はまたしても余計なことをしてくれたもんだ。映画好きにとっては、辞任発表よりも『嫌われ松子』の方がどんだけ意義のあるものだったかと、その話を聞いた時はちょっとムッとした。

 いずれにしても、福田ハットリ君はいつかこんな勝手なことをする人だと思っていたから、私は全く驚かなかったし、号外など出す必要もないと思っていた。


 今、福田総理は国民からボコボコに批判されている。私は、1年前、アホみたいに「美しい日本」というカオスの言葉だけを残して、日本をめちゃくちゃにした安倍総理が辞任後、はずみでタナボタ式に総理になった福田さんを最初から信用していなかった。

 多分、安倍さんよりも日本の経済、雇用問題、医療、年金問題を『ダークナイト』のジョーカーのように情け容赦なく破壊していくと思っていたからだ。結果は推して知るべしだった。

 ところで、今、福田さんの無責任な辞任は全国民が糾弾し、自民党への不信は募るばかりである。

 福田ハットリ君総理の結末を予言していた私が、これ以上福田総理の無責任さを追及したところで、出てくるネタは一般マスコミと同じスタンスでつまんねぇ。

 ということで、ここにきて私はたった一つだけ、福田総理の活動で拍手をしてあげたいことを発見した。

 奥様にも内緒にしていた辞任発表を計画した9月1日は防災の日だった。福田総理は最後の仕事として、大阪へ防災訓練に出かけた。日本は地震のリスクの高い国として、総理自ら防災訓練に参加した。この6時間後に辞任を発表するということは、おくびにも出さずに、防災の必要を力説していた。

 最後の挨拶で、

「日本は備えあれば憂い無し」としみじみと話した瞬間、まさにその瞬間、能面のような無表情の福田さんの顔が、悲しいのと辛いのと嬉しいのとおかしいのとが入り混ざったような複雑な人間的な表情を見せたのだ。

 そこには、へのへのもへ字のむっつり顔のマンガの忍者ハットリ君の顔でない、人間の福田さんの正直な顔が見えたのだ。

 「備えあれば憂い無し」

 この言葉を発する時に、「ボクちゃんは備えなしだから、憂いが一杯だったんだなぁ」と、自分の情けなさを痛感し、反省したんだろう。

 だから、中国新聞の記者の「他人事のような総理は無責任」と言う追求にも、「私は常に客観的、あなたとは違う」と、キッパリと言い切ったのだろう。

 しかし、このことにもっと早く気がついていたら、ねじれ国会も解消していた。辞任直前まで分からなかった福田さんは、ヤッパ、「アホちゃいますねん、パーですねん、パー!」かもしれない。

 後釜の総裁に麻生さん、小池さん、石原さん、与謝野馨さんなどが立候補しているが、今日のニュースで一番立候補してほしくない人が登場した。

 元防衛省の石破さんだ。この軍事オタクが画面に出た瞬間、ハニワ顔が一段とヌメヌメして、まるで天ぷら屋の廊下にラードをすり込んだみたいな顔に見えた。おまけに、話し方は理路整然とはしているものの、この人もまたジョーカー以上の薄気味悪い破壊屋だと思う。

 経済、年金、保険問題も破壊するだろうが、もちろん日本を軍事国家にして、戦争という一番してはいけない手段で世界中を破壊するような気がしてならないからだ。

 だから、この人だけは、絶対に絶対にカンベンしてよねぇー!!!!!
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