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小田実さんの死を悼んで

 数年前、俳優の故・勝新太郎さんが、「総理大臣の代わりは一杯いるけれど、勝新太郎の代わりは誰もいない」と、胸を張っておっしゃっていたが、全くその通りだと思った。そして、7月30日、総理大臣の代わりは一杯いるけど、この人の代わりは誰もできないし、これからも絶対に現れることはないと思える作家が75歳でこの世を去った。小田実さんである。

 8月4日、作家の小田実さんの葬儀が青山斎場であった。末期胃ガンに侵され、かなりご容態が悪いのは聞いていたが、こんなに早く亡くなるとは思ってもみなかった。


 葬儀に約800人の弔問客がいらっしゃり、会場に入れない方は外の長い列に並び、スピーカーで小田さんの葬儀に臨んでいた。葬儀に大盛況という言葉は不謹慎であるのだが、とにかく活気があり、賑々しい葬儀だった。

 葬儀委員長は鶴見俊輔氏。弔辞は作家の加藤周一氏、日本文学研究家のドナルド・キーン氏などがお読みになり、弔問客の中には大江健三郎氏、井上ひさし氏、土井たか子氏、社民党の福島瑞穂氏、共産党の志位和夫氏の姿が見え、韓国の元大統領・金大中氏からの弔電が届いた時には、改めて小田実さんの交友の幅の広さを実感した。

 葬儀後には、「小田実さんの死を悼む」(反戦の遺志をついで)の小田実さん追悼デモまで行われ、ますます葬儀に活気が出てきた。

 日本だけでなく世界中にたくさんの親友がいた小田さんにぴったりの葬儀だと思った。ベトナム反戦運動を結成し、自らが先頭に立ち、阪神大震災では、ご自身が被災者であることから、政府に公的支援を訴えて、「被災者生活再建支援法」まで成立させてしまった。一個人でも、不可能と思えることでも、一人ひとりが行動を起こせば、なんとか世の中を変えることができる。そんな弱小とも思えた市民たちに勇気と希望と自信を与えてくれたのが「行動する作家」小田実さんだった。


 私は今から30年前に小田実さんとお会いしたことがある。当時、私はアジアアフリカ作家会議の事務局員をしていたので、その会議の一端で小田実さんが事務局にいらしたのだ。

 反戦、市民運動の人たちの中では、私はかなり浮いた存在である。いや、私は競馬の世界でも、映画の世界でも、どこにいても浮いた存在なのである。どこにいて宙ぶらりん。これは今も昔も変わらない。特にアジアアフリカ作家会議では、たくさんのインテリ作家に囲まれていたにも関わらず、私だけがミーハーで、つまりアホだった。

 しかし、こんな頭の悪い私でも、アジアやアフリカで搾取されつつ生きる文化人の方のためにも、少しはお役に立てるのではないかと、自信喪失しながらも、頑張って事務局の仕事をしていた。

 その会議に現れたのが小田実さんだった。議題が非常に難解だったので、私はさっぱり分からず、下を向いていると、小田さんが「中村さん(これ私の旧姓)はどう思いますか?なんでもいいからどんなことでも感想を言ってくれればいいんですよ」と優しくおっしゃってくださった。


 私がノンポリでミーハーであることは、鋭い小田さんならすぐに見抜いたはずである。しかし、そんなミーハーの意見も貴重だと思ってくださった小田さんのバランス感覚とリベラルさに、私はとっても感激した。

 生涯を通して、この魅力的な人柄や感性が書物に表れ、生き方にも表れ、昨日の葬儀の800人の会葬者の数に繋がったのかもしれない。


 小田実さんの死は寂しい。いや、小田実さん的言動とアクションがこの世から消えてしまうことの方がもっと寂しい。


小田さん自画像付きの会葬礼状には

「七五年、人生一巡、
 みなさん方とともに生きたこと、
 生きられたことを、
 幸いに思います。
 では、お互い、奇妙な言い方かもしれませんが、
 生きているかぎり、お元気で」


 と書かれてあった。小田さんは亡くなってしまったが、その魂は消えることがないだろう。

                        合掌


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