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一年を振り返って

今年1年を振り返ってみた。

競馬、映画と充実した1年だった。待望の2作目も上梓することができた。無事これ名馬というが、私も大病も怪我もなく2006年がなんとか終わろうとしている。

辛かったこと、大変だったことも、この充実に繋がるための試練だったんだと改めて思っている。

いい事、悪いこと、色々あったが、今はいいことだけを思い出している。その中で一番いいことは、82歳になる私の母のことだ。私の母は10歳の時に父親に先立たれ、母子家庭で育った。3人兄弟の長女の母は、妹や弟の世話をしながら、農家で働く母親、つまり私の祖母を助けるために、家事を一手に引き受けていた。

まだ幼い母の小さな手は冬になるとひびやあかぎれで腫れ上がっていたそうだ。まだ、まだ遊びたい盛りの母は学校から帰ると、妹や弟の世話や夕飯の支度をしなければならなかったので、まともに友達と遊んだこともなかったようだ。

まだ、まだ日本は貧しい頃で、今みたいにファミコンもビデオショップもない時代。子供の遊びは外だけだったから、なんだかそれだけでも胸が詰まってくる。

私と母はまるっきり性格が正反対だ。母は大正生まれの厳格な父に嫁ぎ、舅、姑にも仕えた。夜は一番遅くまで起きていて、朝は一番早く起きる。これが戦後の日本の嫁の典型だった。私は文句一つ言わず、家事の切り盛りに明け暮れる母が反面教師になり、絶対に長男のところには嫁がない、厳格でわがままな男とは結婚しない。そう思っていた。

これは確かに実現はした。しかし、振り返ると、厳格でチョーむかつく父親も今から4年前に他界した。ちょうど、「競馬場のマリリン」を出版した年だった。病に倒れた父は気弱になったのか、初めて、私の存在を認めてくれた。父も子供の頃、小説家になりたかったことなど、病院の病室でこっそり教えてくれた。それからは、私の作品を誰よりも楽しみにしていたが、残念なことに出版が間に合わず、ついに帰らぬ人になった。私は父の棺にそっと、未完成のゲラを入れた。そして、棺の中で一回りも小さくなり、全く動かない父の最期の姿を見て、泣いていた。

そして、2006年が終わろうとしている。そうだ、今年一番良かったことに話を戻そう。82歳のその母が曲がった腰を折りたたむようにコタツで丸くなり、毎日のように少しずつだが、「三角のマリリン」を読んでくれている。昨日、近くに住む母を訪ねた。「おまえ、本の中にヨン様の悪口あるけど、ヨン様が怒らない?」とか「それにしても、ヨーコの頭はおかしいね。昔っからおかしな娘だったけど」と笑っていた。

読者があってこそ、物書きである。私はずり下げた老眼鏡で、コタツで猫のように丸くなって、熱心に私の本を読んでくれている最大の、最愛の読者を発見したこと。これこそ、今年最高のいいことだった。
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理解のいらない理解

「私はダリでしょう?」

 爆笑問題の太田君が、今開催されている「ダリ回顧展」のテレビのコマーシャルでこの駄洒落を言っている。これで、スペインの画家・サルバトール・ダリに興味を持った人も、たくさんいるんじゃないだろうか。ダリと太田君が結びつくこと自体、シュールリアリズムで、生誕100年を迎えたダリはやはりシュールリアリズの権化として、時を隔てても君臨しているんだと、つくづく思った。多分、マックス・エルンスト展ではこうならないだろう。

 私は大学時代にダリに出会った。一時、シュールリアリズム文学に凝っていたので、その一環でダリの絵を目にした。あの時代、若いがゆえにアグレッシブで、シュールリアリズムと名のつくものなら、何でもいいからむさぼっていた。

 でも、今考えると、なぜ、あの時代、あんなにシュールリアリズムにのめりこんでいたのか、わからない。多分、シュールリアリズム嗜好はちょっと変わった、エキセントリックなインテリに好まれていたので、ちょっと変わった人と思われるのを心の底から望んでいた私だから、ファッションの一環としてシュールリアリズムを人生の狭間に置いていたのかもしれない。
 
 だから、正直言うと、サルバトール・ダリ、マックス・エルンスト、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアールなど、片っ端から漁っていたものの、それぞれの激烈な個性がごちゃごちゃに混ざりあって、今思えば、彼らの何を見、読んできたのか、心に残っていない。つまり、激烈な個性を吸収し過ぎて、横溢し過ぎて、とどのつまり、無個性になってしまったという、虚しさである。

 それなのに、ダリ展が開催されると知ると、いてもたってもいられず、上野の森美術館に足を運んだ。多分、青春時代に愛したものにもう一度出会い、今の自分の年齢や人生の背景の中で、ダリの作品を見て、私はどんな感想を持つのかという、自分試しへの興味からだった。

 油彩画含む、60点の作品を目の前にして、私は茫然自失になった。とりわけ、299.7×254cmの大作「世界教会会議」を見た時に、心の震えが止まらなかった。見学者たちの誰もがこの絵の前で立ち止まり、誰もが溜め息をついていた。頭上にいるのはキリストか?聖母マリアと思しきダリの愛妻ガラが十字架を持ち、微笑んでいる。その全景をダリ自身がキャンパスで描き、画家ダリも見学者に何かを言わんとして、こちらを見つめている。

 約15分、この絵画の前に釘付けになっていた。この作品は何を言いたいんだろう。ダリは己の何をこの作品に込めたのだろうか?一生懸命に理解しようとした。

 しかし、いくら考えても理解できなかった。理解できないのに、この心に迫る神々の営みにホッとし、心が和み、縛りつけられていた社会通念からふーっと解放されていった。

 溶ける時計、溶けるバイオリン、溶ける文明。ダリの絵には必ずと言って出てくる、溶解の思想。全作品を見終わり、ダリの名言集が展示されているボードに辿りついた。

 そこには「誰もボクの絵を理解できない。なぜなら、描くボク自身が理解できていないのだから」というような内容のコメントが書かれていた。そうか、これだ!芸術には理解のいらない理解が厳然と存在しているのだ。理解ができないことも、また、理解の一つなのである。

 10代の頃なら、きっと、ダリのこれらの作品に観念的なへ理屈をつけて、自己満足に浸っていたかもしれない。しかし、熟年と呼ばれるこの齢になって、私は初めて、ダリという画家を理解したような気がした。

「理解のいらない理解」を知るまでにはかなり長い道のりであったが、年を重ねることもまんざら悪くないな。そう思った。

 

第51回有馬記念  マリリンの予想

 泣いても笑っても、有馬記念ですね。去年、ハーツクライがディープインパクトをやぶり、コスモバルクが4着についたあの日からもう一年。 早いものです。競馬を追いかけているとあっという間に年を取ると、競馬歴50年以上のその道のプロの先生から漏れた言葉が印象的です。


 さて、さて、今年の有馬記念。マリリンは真剣に予想し、マジに儲けたくなりました。実は1993年のトウカイテイオー以来、なんと13年間、有馬記念を当てたことがありません。トウカイテイオーの復活戦。あの田原騎手の涙の記者会見。競馬史上、最高に感動的な有馬記念だと今でも思っています。


  しか~し、今年はさらにさらに特別です。予想だけでなく、馬券を思う存分買える免罪符を得たので、こうなったら、とことん、女馬券師として、JRAから今年外れた馬券の分を取り返そう思っている所存です。 予想の仕方も感傷的馬券とがっぽり儲けて取り返すぜJRA馬券に分けました。


感傷的ジコマン馬券


 ディープインパクトは一着にならなければいけない。もちろん、今年で有馬挑戦3度目のバルクはもっと一着にならなくてはならない。これはマリリンだけでなく、日本中の競馬ファンの思いだと信じています。この2頭はどうしても勝たなければならない存在なのです。「三角のマリリン」にも登場してもらったしぃ(笑)


単勝     7番(コスモバルク) 4番(ディープインパクト)


 馬単     4⇔7 (競馬の知らない人へ、4-7でも7-4でも当たる            と馬券です!業界用語では表裏馬券です)


がっぽり儲けて取り返すぜJRA馬券


今回の有馬記念の出走実力馬の中で、一際異彩を放っているのがドリームパスポート。3歳覇者の中で、デビューから3着以内外したことがないという実力馬。ジャパンカップでもしっかり、ディープの後にストーンと入りました。騎手は地方所属の内田君ことウッチー。近年稀に見る地方所属の実力騎手。


 ドリームパスポートの走りを見て、思い出すのがメイショウドトウ。G1 7勝馬のあの最強のテイエムオペラオーのいつも2番手についていました。しかし、宝塚記念でついにドトウはオペラオーを破ったのでした。万年2着の幻想を覆したドトウに涙した私です。


 最強の馬を差す馬こそ、最高の馬と思っているマリリンです。今回の有馬記念で、ディープインパクトのG1 7勝に歯止めをかけるのがこのドリームパスポートだと信じています。


ドリームパスポートの単勝は今のところ12.4倍。ですから、


3番から馬単と馬連で総流し、してみます。では競馬がわからない人に馬単馬連総流しと言ってもぴんとこないのでちゃんと書きます。


●馬連(1着2着がこの番号が絡んでいたらあったりー)


1-3 2-3  3-4 3-5 3-6 3-7 3-8 3-9 


3-10 3-11 3-12  3-13 3-14


●馬単(1着2着をこの番号順に当てればあったりぃー)


3-1 3-2 3-4 3-5 3-6 3-7 3-8 3-9


3-10 3-11 3-12 3-13 3-14


後は紅一点のスイープトウショウ 男どもに混ざって、健闘することを信じて


●単勝  6番  



金額はお財布とパドックの状態を見て決めます。 では、明日の中山競馬場で何が起こるのか、今から心臓バコバコで更年期の動悸が戻ってきちゃたのかな、なんて思っていますだ。


出光石油

忙しいとか超多忙とか、人に言われていい気持ちになる人は皆無だと思う。

その忙しさがプライベートなこと、例えば、介護老人を抱えていたり、この時期なら受験生を抱えているとか、失業した旦那のために稼がなくてはならなかったりとか、切実な人から漏れる忙しいという言葉には、心から大変だなと思い、何とか頑張ってもらいたい。その忙しさの持つ意味合いがあまりにも深く、胸の奥にジンジンと迫ってくる。

しかし、単なる物書きに過ぎない私であるから、忙しいといっても、たかが知れてる。これは単なる仕事。誰も忙しくしてくださいなんて、言ってませんよ。これが周囲にいる人たちの反応であるのは事実だ。だから、私は極力忙しいとは言わないようにしているが、でも忙しいとすぐに「忙しい」と言ってしまう人間だった。

先日、長い間ニューヨークで活躍していたカメラマンの井手さんと飲んだ時、日本人は忙しいと言えば安心する国民だと言った。忙しいと言えば、その人は売れっ子で憧憬の的になるが、アメリカではそうではないらしい。忙しい人はアホの証拠で、忙しい人には仕事を頼めないからパスして、他のカメラマンにあたるという。だから、井手さんはどんなに忙しくても、「いつも暇です」と言って、依頼主を安心させているという。

うーん。さすが。忙しいと言えば、なんだか人よりも優位に立ったような気になるのは真実。ある意味ではジコマン、ナルシシズムだ。私もなんどか、そんな手を使ったように思う。目の前にある問題を忙しさで逃れてきたことも何度かある。でも、今日から改めようっと。誰も、人が忙しい話を聞いてもうれしくないし、楽しくない。「暇だ、暇だ」とぼやいている人がいるから安心して、ホッとする。「暇だ暇だ」と言える人はある意味では、こんな殺伐した社会での癒し系の人なんだ。

で、全く関係ない話。今週号の「週刊大衆」の書評欄に「三角のマリリン」を扱っていただいた。なんと、石原真理子の新しい恋人のスクープ記事と一緒に載っている。素直にうれしい。そして、「優駿」ではプレゼントコーナーに「三角のマリリン」が載っている。うれしい。

うれしさに感極まっていたら、私はとんでもない間違い話を突然思い出していた。なんでこんな間違いを思い出したかはわからないが、かなり頭があっちの方、シュールリアリズムの方に行っているからだろう。

この年になるまで「出光石油」を「でひかるせきゆ」と言っていた。この間違いを指摘されたのが今年の夏、友人の車に乗せてもらい中央高速を走っていた時だった。友人たちの爆笑で「出光石油」が「いでみつせきゆ」だと知った。大笑いしている友人たちと一緒に笑っている私も楽しかった。

ここで、こんな間違いを犯した私だけを責めたお笑いで終わりにしたいが、私以外にも、それはもの凄い間違いをしている人もいることをお知らせしないとしゃくにさわる。もう6年前になるがディリースポーツの競馬専門紙の「馬三郎」に連載していた時、知人が私の連載が面白いので、ちょっとホームページの日記で紹介したいから見てくれと言った。

私はその知人の日記を見てのけぞり返った。なんと、瀧澤陽子は現在「熊五郎」で連載しているとあった。えっ?と思ったが、その後、震えるほどおかしかった。「馬三郎」を「熊五郎」にしていた。馬でも熊でもいいけど、やはり競馬は馬でないとね。

人の間違いや錯覚って、おかしくて世の中、明るくしてくれる。キュートな錯覚や間違いならば、本当に楽しい。

で、何を言いたいかと言うと、忙しくても忙しいと言うのは恥ずべきことだと言うことがわかったマリリンです。

市民と非戦とコスモバルク

社会思想家の吉川勇一氏から「ニッポン人脈記1」(朝日新聞社)が届いた。この第4章の「市民と非戦」の中に吉川勇一氏の記事が載っている。

かつて「ベトナムに平和を!市民連合」略して「べ平連」という市民運動があったことを話しても、現代の若い人でどれだけ知っているかはわからないが、1965年を境にベトナム戦争は激化して、たくさんの犠牲者を出していた。アメリカが無意味に介入した今回のイラク戦争とベトナム戦争は形は違えど、よく似ているように思う。


その「べ平連」の事務局長を、長い間お勤めになったのが吉川勇一氏である。私と吉川さんは、「べ平連」とは直接関係はないが、若かりし頃、一時であるが「アジアアフリカ作家会議」という文化団体に在籍していた頃にお近づきさせていただいた。

私はサイコで頭がイカれている超スノッブであり、超ミーハーである。しかし、どういうわけか、私の周囲の方たちはインテリで日本の社会のシンクタンクやオピニオンリーダーになるような方たちばかりだ。


そんな人間模様の中で、なんと競馬好きは私だけなので、ちょっと浮いた存在であるのは事実であった。ところが、である。処女作「競馬場のマリリン」を競馬には全く無縁でいらっしゃる吉川さんに献本したら、思いもかけないうれしいお返事をいただいた。

吉川さんの姪御さんが、なんと「ビッグレッドファーム」のスタッフであり、私の本を姪御さんに贈ったら、とても喜んでくださったという。

このあたりの事情は新作「三角のマリリン」に書いてあるが、「べ平連」というかつての伝説的な市民運動が、時空を超えてコスモバルクというホッカイドウ所属の一頭の馬で線引きがされた現実に改めて驚いている。

そして、吉川さんの姪御さんが牧場に勤めていることから、全く競馬に興味の無かった、私の周囲の人たちが競走馬の素晴らしさにじわじわと気づき始めている。

「市民と非戦」。こんなところで繋がる「コスモバルク」はやはり摩訶不思議、偉大な馬なんだとつくづく思っている。







石原真理子の気持ち

女優の石原真理子が自叙伝を出した。

自分の男性遍歴を全て吐き出し、そこから第2の人生をスタートさせたいという気持ちで本を出したそうだ。本のタイトルは「ふぞろいな秘密」。今日のワイドショーは石原真理子一色だった。

私は山田太一脚本の不世出のテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」で10代の駆け出し看護婦を演じた石原真理子にとても魅了された。相棒の手塚理美もとっても初々しかった。物語も嘘偽りがない。あの当時の若者を真っ向から描き、とても感動的で、楽しいドラマだった。三流大学の学生を演じた、中井貴一、柳沢慎吾、時任三郎も圧巻だった。BGMのサザンの「愛しのエリー」も最高だった。

石原真理子のニヒルで斜に構えたわがままな演技は、古い話だがフランスの小悪魔女優、ミレーヌ・ドモンジョを思い浮かべた。

私生活もお騒がせの人で、「安全地帯」の玉置浩二との不倫スキャンダルにはハラハラドキドキしたが、あのエリザベス・テーラーも8度の離婚を繰り返した恋多き女だったので、女優にはスキャンダルはつき物だと思っていたので、これも致し方ない。男は芸の肥やしなのだ。

今日、ワイドショーに出ていた石原真理子は、あの10代の石原真理子ではない。42歳。立派な熟年女性になっていた。愛くるしい笑顔やキュートな目元にはうっすらと小じわがより、年相応の顔つきになっていたが、これはこれで、綺麗だと思った。

私は石原真理子の気持ちがよくわかる。過去につきあっていた男たちとの恋愛を暴露することで、自分の気持ちを整理したい、次なるステップアップにしたい。これは芸能人であれば、誰もが思うことである。だから、これに利用された男たちは怒り心頭するかも知れないが、抑えて欲しい。芸能人であれ、文化人であれ、政治家でれ、一度でもいいからメディアに露出した人にはプライバシーはないと思っている。どんなファンでもスターの私生活は覗きたい。これが憧れる者に対する歪んだ純粋なファン心理でもあるのだ。

人気商売は私生活を切り売りして生き延びる。よしんば、今回の石原真理子の暴露で、その本の中に出ていた芸能人が、また脚光を浴びるかもしれない。やってくれました、真理ちゃんと思っている元恋人もいるはずだ。

ただ一つ、今回の記者会見で石原真理子は最大の間違いを、いや、錯覚だろうか、披露してしまった。それはこの本を出版した動機である。正々堂々と「売名とステップアップ」のためと、なぜ言えない。芸能界で受けたいじめ、セクハラ、恋人から受けたDVは、今これに悩んでいる人たちに何かの勇気や励みになるはずだと、社会問題にすりかえた点である。

この吝嗇した姿勢が、メディアから反発をくらっている。そのことに石原真理子は気づいていない。私は恋人たちを売ったのよ、そのどこがいけないの?それが芸能人ってもんでしょうが。女優というもんでしょうが。

と、その強烈な居直りで、あの小悪魔には最後まで突っ張って欲しかった。残念。

「雪に願うこと」も叶わなかった輓営(ばんえい)競馬の廃止問題

輓馬(ばんば)をテーマにした映画「雪に願うこと」は素晴らしい映画だった。

根岸吉太郎監督が独自の視点で輓馬を描き、この作品は東京国際映画祭でグランプリを含む4冠に輝いた。私は輓営競馬をこの映画で初めて体験した。人生に挫折した青年が、生まれ故郷に戻り、輓馬たちの境遇やがんばりを見て、自らの人生に新たな希望を持つという話だった。

調教師の兄、佐藤浩市のセリフが今でも頭から離れない。「馬見てんと気持ちが落ちつくべ」である。

これは輓馬に限らず、馬として生を受けた馬たち全てにいえる。競走馬であろうが、農耕馬であろうが、馬たちはなんらかの形で人間と共存し、人間を助けてきた大きな存在である。

私は「雪に願うこと」が一般公開され、多くの人たちに支持されたことを競馬メディアではなく、映画メディアの人から聞いていた。だから、
この映画のおかげで、輓営競馬が再び脚光を浴び、多くの人たちがあの健気な輓馬、雲龍(うんりゅう)が臨んだ過酷で厳しいレースを見るために、足繁く帯広や岩見沢や旭川に観戦に通っているのではないだろうかと、楽観的であった。

しかし、この映画に感動はしたものの、現地に行き、輓馬たちを応援しようとしなかった私であるのだから、人のことは言えない。こんなに切羽詰まった状況にあったことを知らされ、なんとも不甲斐ない自分を恥じた。

競馬と同じように、映画は人を動かすとばかり過信していた。なぜなら、あの京葉工業地帯の寂れた木更津の商店街は「木更津キャッツアイ」のブレイクで、また活気が戻ってきたという報道を目にしたからだ。

東京国際映画祭がどれほどインパクトがあり、権威のあるものかはわからないが、それでも、グランプリを取った以上、世論を動かし、輓馬を知らなかった私たちにその素晴らしさをメッセージとして送ってくれたとばかり思っていた。

でも、結果は皮肉なことに、グランプリを取った年に廃止になりつつあるという。

もし廃止になれば輓馬たちの今後はあまりにも悲しい末路が待っているという。

映画は絶対的に世の中を動かし、人々に感動と夢と希望を与え、ある種の救世主になると過信していた私である。しかし、その限界を痛いほど思い知らされた輓営競馬廃止問題のニュースであった。映画の役割はかくも弱小であったとは…。虚しい。表現することの虚しさにユーツになっている。


監督の根岸吉太郎さんはどう思っているのであろうか?
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