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産婦人科で思ったこと

 常用している漢方薬を取りに半年ぶりに産婦人科へ行った。ついでに一年に一度、市の保健所から郵送される子宮ガン検診も受けた。

 私は産婦人科の内診台に乗るのに、なんの抵抗ももない。しかし、これは同世代の女友達によると「恐るべき変わりもんで恥知らず、宇宙規模的のすごいこと」らしい。ゆえに、ガン検診は受けたいけど内診台に乗るのが苦痛で検診を受けない人が多いようだ。なぜだろう?

 確かにお医者さまに自分の女性自身(古い表現?)をお見せするのは恥ずかしいかもしれないが、これはあくまでも検査でしょ?観賞用でもなければHの対象でもない。単に生物学的な実験材料に過ぎないではないか。

 お医者さまの中にはたまにはスケベ親父がいて、観賞する時間のゆとりがある医者もいるかも知れない。が、私の知り合いの産婦人科の男友達は「あんなもん、何度見ても、単なる物体にしか過ぎない」と言っている。

 特にキャピキャピギャルのそれならば、ちょっとだけ興奮するお医者さんもいるかもしれないが、お産やHで散々使いこなされた、アンモナイト級の老朽化したババァのをそれを見て、ムラムラとする医者の方が異常だと思う。

 子宮ガンは早期発見が大事。皆さん、恥ずかしがらずに検診を受けましょうね!

 で、また産婦人科。この病院では、4月1日から個人保護法案の成立により、患者名をアルファベットとナンバーで呼ぶようになった。私はFの3番のカードを貰い待合室のテレビに目を向けた。フジテレビの「こたえてちょうだい」の子連れで再婚して幸福になった女性の再現フィルムが面白くて、ウヒャウヒャ笑いころげていた。

 テレビを見終えると1時間も待っているのに気がついた。おかしいなと思い受け付けで尋ねてみると「もう30分も前にお呼びしましたよ。F3番さんですよね」「えっ?そうでしたか。全然気がつきませんでした」「では次にお呼びしますので、もう少し待ってください」と言われた。

 テレビに興じていたので全く気が付かなかったのだが、病院の待合室を飛び交う受付のアナウンスは「A13番さん、M8番さん、E10番さん、F2番さん、検査室にお入りください」とウドンやラーメンのファーストフード店で番号札を渡され、出来上がった時に呼ばれるアナウンスとよく似ていた。

 患者の名前を公表するのは、確かにプライバシーの侵害になるかもしれないが、このアルファベットと番号の呼び名はかなり無機質でそっけなく、人類ではなくアンドロイドになったような感じがした。あまりにも芸がない。

 ふと、こんな呼び名を考えた。患者たちをあいうえお順の銀幕女優で呼んだろどうだろうか?産婦人科は当たり前だが女だけの世界。「鹿の園」ならぬ「女の園」。


 受け付け順から、アン・バンクロフトさん(「奇跡の人」のサリバン先生。「卒業」のミセス・ロビンソン。先日亡くなりました。大好きな女優だったので残念)、アンナ・カリーナさん、イザベル・アジャーニさん、イングリッド・バーグマンさん、エリザベス・テーラーさん、オードリー・ヘップバーンさん、ケイト・ウィンスレットさん、サンドラ・ブロックさん、ジェニファー・ロペスさん、ニコール・キッドマンさん、~~、マリリン・モンローさん、ユマ・サーマンさんetc、と呼ぶようにしたらどうだろうか?

 産婦人科、いや、病院のイメージがぐっと変わり、病院に行くのが苦痛でなくなるのではないだろうか?ユーモアと洒落。笑いは百薬の長とさえ言われている。こんな病院が出てきて欲しいもんだ。強く厚生労働省に提案したい。

 私は「競馬場のマリリン」だから、1度はマリリン・モンローって呼ばれたい。ただ、受け付けの方へ。間違ってもマリリン・マンソンとは呼ばないでくれーっ!
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別れのキス

今年になって、すでに五回も葬儀に参列した。叔母、伯母、友達の父親、友達の夫。

 50歳を過ぎれば、同世代の友達の結婚式はほぼ皆無で、親や夫の最後を見送る葬儀に参列することが多くなる。その都度、自分はすでに人生の三分の二は生きてきて、もう若くないんだなと実感せざるを得ない。

 色々な葬儀に参列しているが、通夜と告別式を執り行うのはワンパターンである。お線香の香りに包まれた斎場で、お坊さんのお経にお焼香。遺族の悲しみの嗚咽。出棺時の最後のお別れの悲しさ。これが今まで私が参列した葬儀のパターンだった。


 しかし、今週の五度目の知人の奥様の葬儀は明らかに違っていた。無宗教でひっそりと、それでいて心のこもった葬儀が故人とそのお連れ合いの意向であった。お坊さんもお線香もお経もない。参列者が奥様の生前の美しいお顔の遺影に芳しい香りを放つお花を献花し、その死を悼んだ。

 司会のマイクは女学校時代に故人と一番親しかったお友達に向けられる。若かりし頃の故人の人生が強烈な臨場感を持って甦ってくる。私は74歳で天に召された故人の可憐で気丈な少女時代を全く知らない。しかし、その同級生がつむぎ出す言葉に、故人の少女時代が見事にフラッシュバックしてくる。

 告別式の出棺時の最後のお別れは、不謹慎かもしれないが、悲しいというよりも感動的だった。奥様の死で憔悴しきったお連れ合いは、顔を棺の中に深くうずめ、死化粧で一段と美しくなった奥様の唇にご自分の唇を重ね、長いキスを交わしていた。

 映画「ニューシネマパラダイス」のラストシーンで数々のラブシーンが映し出されるが、そのどれよりも棺のキスシーンは美しかった。深い愛情が会場に充満する。別れの悲しさが会場を沈黙させる。愛が深いからこそ、最後の別れは残酷なほど痛々しい。私は泣くまいと思っていた。故人が明るく気丈な方だったから、涙が嫌いだと思い、ずっと我慢していた。が、このロングキッスを見ていたら、こらえきれなくなって涙がとめどもなく流れてきた。

 この世で最後の名残惜しいキスを交わした後、お連れ合いの華奢なガラス細工のような瞳からも大粒の涙が溢れていた。

 すると、棺のふたがゆるやかに閉じられた。
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