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タップダンスシチー、翼よ!あれが巴里の灯だ

うわーん!うれしい!うれしい!絶頂感!

なんと、タップダンスシチーが1度は断念した凱旋門賞に出場することになったそうだ。
今日の夕方、デイリースポーツ「馬三郎」編集部のIさんがこの吉報を知らせてくれた。Iさん、本当にありがとうございます。

明日の新聞に詳細が載ると思うが、1日の金曜日にタップは成田空港を出発して、ぶっつけ本番の状態で「凱旋門賞」に参戦するということだ。事実は小説よりも奇なりとはこのこと。

今はうれしくて、うれしくて、興奮してここまでしか書けないが、たった1日で消えてしまった希望をまた甦らせてくれたタップダンスシチー、そして関係者の方たちの勇気に乾杯!もしかしたら、もしかした、日本初の凱旋門賞馬登場の予感。ウホ-!、ウホ-!そしたら、私はその歴史的瞬間に立ち会えるかもしれない。ドキン、ドキン。しかし、タップダンスシチーってメチャクチャ、数奇な運命を辿る馬。思わず笑ってしまった。こんなことが起るから競馬が大好きなんだ。

それにしても、昨日から今日と悲しんだり、怒ったり、歓喜の涙を流したりで、体重が2キロ減ってしまった。タップも口惜し涙を流していた佐々木調教師、佐藤ジョッキー、馬主さん、そして、私を含めたタップダンスシチーふぁんのみなさん!本当に良かった、良かった!

タップダンスシチー、パリの灯は決して遠くはなかったね!

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タップダンスシチー、パリの灯は遠く…

ガーン!!!エ~ン!!!

 昨日のニュースでフランス、ロンシャン競馬場「凱旋門賞」に出馬するはずのタップダンスシチーが飛行機トラブルで搭乗することができず、渡仏を断念したそうだ。成田国際空港は離着陸5分起きに飛行機が飛んでいる。そしてアジア最大の空港だ。成田空港からタップが乗れなかった関西空港まで、代替便の特別便一機くらいなんとかチャーターできなかったものかと口惜しくてたまらない。

 タップダンスの体調そのものに異変が起きたのなら、人間も馬も生き物、それはそれで諦めるしかない。が、こんな人為的ミスで出場を断念しなければならなかったなんて!去年のジャパンカップで外国馬を9馬身離しての圧勝。今回の凱旋門賞でも下馬評では7番人気とされいた。フランスに住む競馬好きの映画評論家も「今回のシュバル ドゥ ジャポネのスピードは凄いらしいね?」って国際電話で話したばかりだった。

 パリだって、タップの遠征を嘱望していたに違いない。ロンシャンの芝は深い。そして世界の強豪と戦うために体を作ったタップ。勝負の結果はどうであれ、走ることなく終わった凱旋門賞。無念なのはタップダンスの関係者だけでなく、タップダンス応援のためにパリ行きを決意した私のような一ファンもしかりだ。

 だからと行ってパリ行きは断念しない。タップが走りたかったロンシャン競馬場。パドックで一昨年のフランスダービー馬・スラマニ、今年のアイルランドダービー馬・グレイスワローなどなどの世界の強豪をこの目でしっかり観察してやる。そして、「ここにタップダンスシチーがいたら、絶対に勝っていたかもしんないよ!」との皮肉の一つも言ってきてやろう!

 あーあ、競馬って本当に何が起るかわかんない。競馬を追いかけると、お金も神経もすり減らす。競馬以外の媒体で稼いだ原稿料全部がまたたく間に、競馬で消えていく。タップダンスが凱旋門賞馬に輝いてくれるかも知れない一縷の望みや夢も、見るも無残に消えていく。競馬は正真正銘の「心の引き算のゲーム」なのだ。

 でも、私は懲りずに一生、この引き算のゲームを繰り返していくんだろうな…。
 

ハルウララ

上海の思い出を残しておくつもりが、時間がたってしまったら記憶が薄れてしまった。御嬢さんが上海に住んでいらっしゃる読者の方から、マリリン流のおもしろおかしい上海話の続編が読みたいというメールが届いて、実現できなくて心苦しく思っている。映画も同じで、新作映画を毎日のように見ていると、心に残る間もなく次の試写室に駆け込む。まるで工場で働く「モダンタイムス」のチャップリンのような心境だ。見るべきテーマが多いと人は次々と過去を忘れていく。昔はそんなことは感じなかったが、多分これは私が年を取ったせいかもしれない。年とともに喜怒哀楽、つまり感動が薄れてきているのだ。怒りや悲しみも強烈でなくなった代わりに、喜びや楽しみも強烈でなくなった。これではいけない。かと言ってこれが寄る年波ならば、それはそれで素直に認めなければならないしなー。

 ハルウララもそんなテーマの一つになって欲しくないので、今ここに書き残しておこう。

 ハルウララが高知競馬場から消えたというニュースに真っ先に反応したのは、全く競馬に興味がなかったが、ハルウララの登場で競走馬が競馬場が大好きになったという女友達の数人である。競馬エッセイを出版した私に聞けば、競馬のことならなんでも分かると思ってくれるのはうれしいが、私は厩舎や馬産地を取材したりするライターではない。だからこのあたりの事情は全く分からない。競馬は競馬でも拙著「競馬場のマリリン」は、30年間に渡る中山競馬場の発売窓口から見たお客の風景、世相、その時代に活躍した競走馬を綴ったエッセイだ。そこにはレースの展開も時計、調教師、馬主ましてや厩舎の風景などは全く出てこない。

 ハルウララが衰退する地方競馬・高知競馬場の救世主であることは知っていても、「負けてヒーロー、ヒロインになる馬」の存在に私はなんの関心も抱いてなかった。私はハイセイコーが国民的現象になった73年に中山競馬場でアルバイトを始めた。オイルショックのあおりを受け、狂乱インフレに庶民が怒り狂っていた時代だ。あの時代の競馬ファンは今と全く違っていた。競馬場には女性はおろか、家族連れ、カップルなんかまるっきりいなかった。キッタない作業服に身を包んだ欲の皮の突っ張ったオッサンが、目をギラつかせ、朝から酒の臭いをぷんぷんさせ馬券を買いにきていた。小指のないヤーサンもよく買いにきていた。最近競馬ファンになった人には想像を絶するようなかなりヤバイ所だった。それは拙著にも書いてある。
 
 しかし、しかし、ハイセイコーが競馬場の客層を変えてしまったのだ。地方競馬・大井競馬場出身のこの怪物は、中央のエリート馬を打ちのめし、見る見る大スターになって行った。どんなに貧しくても辛くても、人はがんばれば中央に登ることができる。そんなサクセスストーリーに庶民は涙を流した。「競馬場は競馬ファンだけでなく、家族連れ、カップルのオアシスとなった」と映画「シービスケット」のパンフレットにも書いたが「シービスケット」もまたハイセイコーと同じ現象であったはずだ。

 「負けても負けても勝つ」これこそ競走馬であると私は信じていたので、ハルウララには何の興味もなかったし、情報を得ようともしなかった。だが、全く競馬を知らない私の友人たちがこれほどハルウララを心配してるのだから、ある意味ではハルウララもスターホースなのかも知れない。パラドックスのスターホースなのかもしれない。

 「ハルウララが高知競馬場からいなくなったみたいよ。馬主が連れ出して、今は那須にいるみたいよ。」と友達に話すと、「そんなことは知ってるわよ!これからハルウララはどうなるの?そのことを聞きたいの?あなた競馬に詳しいでしょ?」イラついた様子で私を責める。「そんなことぐらいしか、私しゃ、知らねっつーの!!競馬本出したからって、競馬の博士でもなんでもねっつーの!もっと詳しい人に聞けばいいじゃん!」私もテンションが上がってきた。あきれた友達は「もう、いい、あなたには聞かないわよ!ふんっ!あなたって競馬の本出しても何にも知らないのね!」こう捨て台詞をはいて、友達は電話を切った。

 ムカーっ!なんで私が怒られなければなんないのよ!全く!

でも、でも、ハルウララにこれだけ興味を持っている人が現実にいるんだという事実に、改めて驚いていた。

 高知競馬場で育てられたハルウララ。
話は別種だが、1月10日、千明牧場のシービークインが亡くなった。20年もシービークインの世話をしていた牧場の管理者の安藤さんは、クインが天寿を全うしたとはいえ、その寂しさで1ヶ月ほど寝込んだそうだ。私は馬じゃないので、馬の気持ちは一生かかっても分からないが、ハルウララも、多分、長年面倒見てくれた人の元に帰りたいんじゃないかな…。どうだろ?
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