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更新と3冠馬・スティルインラブとシービスケット

んとかマリリンサイトの更新が自分でできるようになった。長い道のりだった。数年前ならパソコンはかなり強い探究心と好奇心があったのだが、寄る年波には勝てないのかな…。かなりの時間を費やしてしまった。でも、いつでも、好きな時にページを変えることができるのは楽しい作業だ。

週末土日と富士吉田の忍野村に行ってきた。年2回ある忍野パーティ。富士山の裾野で昔の仲間が集まり、バーベキュー。炉を囲みながら冷たいビールにレアものワインでワイワイがやがや。とても楽しい会である。土曜日は生憎の小雨。しかし昨日の日曜日は晴天だったので、うっすらと雪化粧をした富士山が青空にくっきりと浮かび上がった。美しい。

富士山の美しさに後ろ髪引かれるたが、早めに帰宅してスーパー競馬が見たかった。スティルインラブが3冠なるかどうかが心配で、心臓がドキドキだった。ついに出たぞ、17年ぶりの牝馬の3冠!ゴール直前の差しには興奮で体温が3度ほど上昇したようだ。額に汗をかいていた。

来週は菊花賞。ネオユニヴァースがこれで3冠取れば、競馬の歴史を変えることになる。牝馬、牡馬とも3冠登場なんて、もう30年はないだろう。だからこそネオにはがんばってもらいたい。2冠までなら、あのカブラヤオーとテスコガビーの75年があったが、残念ながら2頭とも怪我のため、秋には出馬できなかった。

京都競馬場は今度で2度目。一度目はオペラオーの圧勝の春の天皇賞。セイウンスカイの長い休養明けの復活戦でもあったので、応援したが、セイウンはしんがりだった。淀の京都競馬場はトラックの中央が池になっていて、これもまた美しい。今週の土日が楽しみだ。

その前に今週締め切りの原稿が迫っている。シービークインをテーマにしたかなり長いものだが、彼女のことを書き始めたら、またミスターシービーが思い出され、涙腺がゆるんできた。

原稿を書く手を休めていたら、郵便ポストにUIP映画から「シービスケット」のプレスが10冊も届いた。セピア色の表紙のプレスの中に拙稿が載っている。拙稿の上には赤いブリンカーをつけたシービスケットが走っている。感無量だ。競馬そのものを扱った映画がアカデミー賞候補作品になるのも、多分、3冠馬の登場と同じくらい稀有なことである。競馬を知らない人にもこの映画は絶対に感動を与えることだろう。少しでも多くの人に見てもらって、競走馬の素晴らしさを感じてほ
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文章修行とキューバ

久しぶりに「競馬場のマリリン」の版元、神田にある平原社のベンさんの所に寄った。

ここんとこ、締め切り原稿でドタバタしていたがやっと時間ができたので、久しぶりにベンさんのお顔が見たくなったのだ。コンビニで缶コーヒーと私の好物、ジャガリコを買った。

応接間で、平原社の新刊本、森田尚著の「生きて帰りたい」(妻たち子たちの満州)がかなり売れていることを聞いた。朝日、毎日、読売3大紙に森田さんのインタビュー記事が取り上げられていた。森田尚さんはソ連満州に嫁ぐが、敗戦直後一歳の乳飲み子を抱き、散々な苦労の末、引き揚げ帰国するまでの実話だ。80歳になる森田さんは、世界平和の願いを込めて、これを上梓したという。戦争の悲惨さを大袈裟ではなく、淡々と語っている。淡々としているからこそ、かえって戦争の悲惨さや残酷さが浮き彫りにされていく。

ベンさんと取り留めもない話をしていたら、突然、晶文社の中川六平編集長が現われた。ベンさんとこと会社がかなり近いので、私が平原社に行くと、必ず六平チャンが来てくれる。しばらくは、また六平ちゃんのオネーチャンの自慢話を聞く。多分、自分がいかにモテるかを言いたくて、やってくるのだと私は密かに思っている。

そこで、最近私が書いたエッセーの話になった。その掲載紙を見せると、ベンさんと六平ちゃんの表情が一変した。気のいいオニーチャン系の優しい顔でなく、むっつりと顔をしかめ、厳しい表情の編集者顔に変わっていた。

「何?ヨーコちゃん、この原稿?よくこれで、OKが出たね?」とベンさん。

「そうだよ、何、これヨーコちゃん、体言止めの一杯ある原稿は素人が苦肉の策でやる手段よ。あとは副詞とか形容詞がいっぱい過ぎ、『まさに』とか『その』とか『そんな』とか、多いの。ダメよ!文章は動詞を主体に考えること!つまり動詞をイメージすることが描写だってこと、ヨーコちゃん、わかってんの?」と六平ちゃん。

二人の名編集者のアドバイスに返す言葉がなくなった。あまりにも的を射ている。私の文章は確かに体言止めが多い。

「文を甘くみちゃ、だめだよ!心の中にあること、目でみたことを、自分の言葉だけで表現していかなきゃね!文章修行をもうちょい必要ね。」またも六平ちゃん。

ちょっとショックで落ちこんだけれど、確かにその通りだ。文章修行のやり直しだ。今すぐにも、文体を変えられないが、二人のアドバイスをしかと受け止めて活字に取り組もうと真面目に思った。

マリリンヨーコは意欲に燃えて平原社を後にして、次なる目的地・早稲田に向かった。

夜、作家・戸井十月さんの講演会が早稲田奉仕園であった。テーマは戸井さんの新作「カストロ、銅像なき権力者」におけるキューバ論である。元キューバ大使も演壇に迎え、ハバナ駐在期のお話に、キューバがさらに好きになっていた。ここでも出てきたのが

「100冊の本を読むより、一人の人間に会え」

というキューバの諺だ。講演会後の2次会、3次会にも参加して、もうほとんど病気と言っていいくらい、完全にキューバに洗脳されていた。絶対、絶対、絶対、キューバには行ってみたい!と思った。

タミチャン社長、がんばれ!

ナリタブライアンの3冠奪取した1994年のことを思い出したら、急にタミちゃんのことが頭に浮かんだ。

タミちゃんは広告制作会社の社長。もう26年来の付き合いだ。私たちが知り合ったのが、高田の馬場のビックbox近くに事務所を構えたアジア・アフリカ作家会議。その時の会長が今は亡き「狭山裁判」の野間宏先生。事務局長が小中陽太郎先生。

2DKばかりのオフィスで写植を打っていたのがタミちゃん。アジア・アフリカで生きる作家たちを支援し、守っていこうと、青春のエネルギーをぶつけて私たちは戦っていた。オフィス近くの「異邦人」というスナックにもよく行った。今はリメイクされてザードが唄っている当時のヒット曲「異邦人」もよく巷に流れていた。新宿ゴールデン街にもよく行った。とにかく飲むのが好きな私たちは夜を徹して飲み歩いた。詩人でもあるタミちゃんからは世界中の詩の美しさを教えてもらった。

そんなタミちゃんが、全ての仕事を捨てて大阪行きを決意した時はびっくりだった。彼女に何がおきたかは後になってわかったが、当時私は26歳という若さで結婚し、お腹の中に新しい命が宿っていた。

大阪でタミちゃんは編集、ライター、デザインというスキルを生かして、たった一人で企業を起こした。パブリシティ用の広告もたった一人で歩き回り、各家庭の郵便ポストにいれて宣伝した。今思えば、誰も知らない大阪という街で、たった一人で戦っていた姿を想像すると…、胸がつまる。

タミちゃんの努力はどんどん実っていった。生来お人よし、天真爛漫、明るく素直な性格が未知の大阪でも歓迎されたのかもしれない。「女性だけの会社」を目指し、社員が一人増え、二人増え、あっという間に20人ほどの広告製作会社「プラニングスポット」を設立した。

なぜ女性だけか?これはなんだかんだ言っても日本の社会は男社会。多分、そんな悪しき風潮を打破するためのものだと私は理解した。画期的なのは設立当時、タミちゃんのオフィスにはベビーサークルがあった。赤ちゃん連れの女性社員の事情を考えて、こんな冒険に走った。まだまだ子供のいる女性が今みたいに自由に働けなかった20年前に、タミちゃんの発想には度肝を抜かれ、そしてその快挙に拍手をおくり、尊敬した。

ナリタブライアンが走った1994年。私は長い子育てから解放され、ライター稼業に復活した。15年も現場から遠ざかったいた私はまるで「浦島太郎」。取材に同行するカメラマンの機材もその撮影方法もすっかり進歩し、今まで400字詰原稿用紙に手書きの原稿で生きてきた私は、ワープロの登場でしどろもどろしていた。

昔の知り合いに「ライター稼業復活」を宣言しても、子供を育て上げ、現場から長く離れていた私に悲しいかな仕事はほとんどこなかった。子育てを完璧にやったら、絶対にまたライター稼業に戻ろうと決意し、そんな希望に燃えて一生懸命、妻、母をやってきた私は愕然とした。自分の行き場がないのを嫌というほど思い知らされた。子育てを終えた女性の現職復帰の厳しさを嫌というほど、味わっていた。

そんな失望から体調をくずして、自律神経失調症の不快な症状に日々悩まされていた。鬱状態から自殺願望さえ出ていた。見る見るうちに7キロ体重が減った。

そんなどん底の時、タミちゃんから電話が入った。

「うちの仕事せいへん?」

すっかり関西弁が板につき、変わらぬ明るいタミちゃんの声。
私はうれしくて涙が溢れていた。しかも、家庭を持つライターでもある私の状況を思いやってくれ、取材やインタビューのアポはいつも午前中、子供が学校から帰る前に帰宅できるような配慮までしてくれた。私は水を得た魚のように、生き生きと仕事に燃えていた。あのタミちゃんの誘いがなければ、私はきっとライターを辞めていたかもしれない。

そんな状況の中で、ナリタブライアンは3冠馬に輝いてくれた。タミちゃんと同様、ナリタブライアンの疾走はそんな最悪だった私の人生の一服の清涼剤、いえ、一服の特効薬になってくれた。

タミちゃんは今また新たな希望に燃えている。東京支社の拡大だ。そのプランを語る熱弁は、まさに競馬ファンが1頭の馬にかける熱弁とよく似ていた。

その希望をかなえるにはその希望の数以上の苦労があると思うけれど、タミちゃん!がんばれ!

いや関西弁では「気張っていきや!」かな。

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