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ギリシャ旅行

ここ2か月ばかり、取材や執筆に追われていたので、なかなか、ギリシャ旅行をしたことを書けなかった。

実は2月ギリシャに行ってきたのだ。金融破綻というギリシャの経済が揺れている最中での旅行なので、そういった意味からもギリシャを見てみたかった。

到着した日は異例の大雪。最初の目的地が山間部のカランバカだったので、山々が雪に覆われて、実に幻想的だった。

訪れた場所の思い出はたくさんあるので、書ききれない。映画と競馬をメインに執筆している私にとって、ギリシャでは思いもかけない出会いがあった。競馬では「マルコポーロ競馬場」、映画ではギリシャを代表する大女優である「メリナ・メルクーリ」の展示室。彼女の「日曜はダメよ」はあまりにも有名である。

そして、何よりも、訪れた観光名所の素晴らしさはさながら、そこに住む人との出会いはもっと魅力的であった。

旅から帰ると、2か月もしないうちにまたも旅に出たくなる。「旅病」はどんどん重症化しているみたいだ。


アクロポリスの丘
(アクロポリスの丘)

エーゲ海クルーズ
(エーゲ海クルーズ)

マルコポーロ競馬場
(マルコポーロ競馬場 これはのちにマリリンの競馬日記に書くつもり)

メルナ・メルクーリ展示場
(アクロポリスの丘の下にあるギリシャを代表する女優、メルナ・メルクーリの展示場に偶然入ることができた。彼女の偉業が詰まった素晴らしい展示場である)

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モロッコ旅行~サハラ砂漠

アラビアのヨーコ

 (アラビアのマリリン。サハラ砂漠の女王になったみたいな気分)

サンライズ1

(なんとか、朝日を拝むことができた。神秘の世界。砂漠の夜明け)

去年、エジプトに行ってから、まだ、1年半しかたっていない。

でも、海外に行きたい。異国の文化に触れ、異国の人と出会いたい。自分を非日常の空間に置きたい。
旅への禁断症状は、最後の旅をしてから一年半がたった頃に必ず現れる。

私の海外への脳内体内免疫がなくなるリミットは、一年半ということかしら。

で、いてもたってもいられず、7月の中旬にモロッコに行ってきた。エジプトを訪れて以来、私は北アフリカに魅了された。

その中でも、なぜ、モロッコか?

旅行代理店のツアープログラムの中にあった「サハラ砂漠で満点の星と朝日を見る!」という
このフレーズに頭がガーンと鳴った。

「見たい、見たい、見たい!絶対に見たい!」

それだけだった。

おまけのように感じたフェズ、マラケシュの観光も行って見ると、これも最高に素晴らしかった。

迷路


(フェズ、メディナの迷路。一度迷うと絶対に出れないというが、ガイドさんがいたから出れた)

あいにく、一番のメインだった「サハラ砂漠の満点の星」は曇りのため、見ることができなかったが、なんとか朝日だけはサハラ砂漠の上に浮かんだ。

すでに、旅してから2か月がたつのだが、今でも、頭はモロッコの思い出ばかり。

1年半の間隔だった免疫がどんどんと短くなってきそうで、抑制がきかなくなってきた。今度はたった二か月で免疫が切れてきた。

「旅病」なのである。

体の病には絶対にかかりたくないけいど、旅の病なら何度かかってもいい…ね。

青い池

青い池
            (美瑛の青い池)


大好きな友達二人が亡くなってから、気分が落ちていた。

そんな時には、センチメンタルジャーニーではないが旅に出るのが一番だ。

ジェットスターの激安ツアーを見つけたのだ、9月の中旬に北海道に行った。

競馬ライターでもあるマリリンだから、まず旅行の目的は日高のビックレッドファームを訪問して、

コスモバルクとアグネスデジタルに会うことだった。

これは競馬日記に書いた。マリリンの競馬日記

今回は日高の前に、富良野から美瑛にも足を延ばしてみた。美瑛に訪れた時、ここのところジワジワとブームになっている「青い池」が素晴らしいと聞いたので行ってみた。

すごく幻想的だった。なぜ青い池ができたかが謎だと書かれた看板も謎だれけだった。

イタリアのカプリに青い洞窟という観光名所があって、いつか行きたいと思っているのだが、美瑛の青い池も灯台下暗し、日本にも素晴らしいところがいっぱいあるんだと思った。

幻想の「アラブの春」~エジプト






アマランテピラミッズ
ステイした「アマランテピラミッズ」ホテル

失業者が行き交う
失業者が行きかうカイロの町

絨毯工場で働く少女
絨毯工場で働く少女。指先は絹糸で傷だらけだった。

2月に行ったエジプトが、また激化している。



先のブログで私は、エジプトの表の顔を書き連ね、実はエジプトにはもう一つの裏の顔があったことを記した。いまこそ、それを書く気になれた。

アラブの春から2年たったエジプトを旅して、まだ5か月しかたっていない。目的は、もちろんピラミッドやツタンカーメンを見ることだったが、一番の目的は「アラブの春」後のエジプトの様子が知りたかった。

初めてアフリカに来れた高揚感で胸がいっぱいになり、私は浮かれていた。しかし、町中の至る所に貼られていた新大統領ムルシの写真に、妙な違和感を感じていた。旧ムバラク軍事政権の崩壊から、エジプトは民主化が進んでいるとばかり思っていた。その立役者がムルシ大統領であることは間違いない。

にも関わらず、町を歩けば、水パイプを吸って暇を持て余した失業者があふれ、道路の脇には山積みのゴミ。それを回収する車など、旅行中、一度も目にしなかった。
                                               
観光名所のキザの三大ピラミッドやスフインクスでも、観光客が少ないことに驚いていた。観光客目当ての食堂は閑古鳥が鳴き、日本人旅行者で昼食を食べているのは私くらいだった。

この頃、外務省からエジプトは海外渡航禁止区域となっていたのも、小規模ながら、ムルシ政権に反発するデモが行われ、それによって観光客は激減していた。

2年前のあの政府がひっくり返った民主化運動が本当に「アラブの春」なのかと、実は目を疑っていた。

ステイしたホテルは、一応5つ星ホテルとランクされ、コロニアル風の洒落たエクステリアで、中庭にはプールも完備されていた。インテリアが充実しいる部屋は広く、テラスに出るとホテルが一望できる素敵な部屋だった。

しかし、到着したその夜に、突然ホテル内が真っ暗になった。停電なのだ

私は、海外のホテルで停電を初めて経験した。エレベーターが突然止まり、冷蔵庫、エアコンも切れ、部屋は真っ暗になった。ちょっと怖かった。エネルギー不足のための停電だった。民家ならわかるが、一流ホテルでも停電なんて…。

「これが本当にアラブの春なのか?」と、またも思っていた。

その不安が、5か月後に的中した。

今、エジプトはムルシ政権への不満が爆発し、ムルシ大統領独断と不信のデモの数は20万人にも上るという。さらに拡大の恐れがあるだろう。
ムバラクが失脚しても、エジプトの失業率者は増え続け、エネルギー不足でガソリンは高騰、物価だってうなぎ上りだという。

現地を案内してくれたガイドさんはカイロ大学卒業し、日本に留学の経験もある。日本人以上に日本を知り、日本語の流暢さったらなかった。エジプトの歴史の深い部分まで説明してくれ、まるで、大学でエジプトの歴史を学んでいるみたいに為になった。しかし、彼は私の案内の仕事が終わると、3か月後までガイドの仕事はないという。こんな優秀な人材でさえ、仕事がないのだから、一般の人の雇用なんてあるわけないと思った。

カイロではいろいろな人に会った。写真はステイしたホテル。

もう一枚は絨毯工房で観光客相手にその絨毯折の技術を見せる少女。
澄んだ瞳の美しいい顔、繊細な手先で編みこむ絹糸。見ると彼女の指先は編みこむ糸で何か所も切れ、傷だらけだった。

その姿に感動しているのもつかの間、この少女が私にたどたどしい日本語で「センエンちょうだい」と、悲しそうに、ひっそりと言った。

今、エジプトは失業者がさらに増え、物価は上昇。国民の阿鼻叫喚が日本にいる私まで聞こえてくる。

カイロはやはり、「アラブの春」ではなかった。

キューバのことわざに「百冊の本を読むより一人の人間に会え」とあるが、今のエジプトの情勢を見て、本当に旅してきてよかったと思うのだ。

「アラブの春」から2年後のエジプト





スフィンクス
(ギザの三大ピラミッドとスフインクス)

エジプト考古学博物館
(エジプト考古学博物館 ツタンカーメンやミイラが貯蔵されているので中ではカメラ禁止)


2月初旬にかけて、エジプトを旅してきた。

アラブの春から2年たったエジプトを見たかったのと、もちろん、古代エジプト文明のピラミッドやスフインクスも、この目でリアルに見たかった。

カタール航空を利用したので、ドーハまでのフライト時間が12時間、トランジットしてカイロまでは4時間。なんと16時間は飛行機の中だなんて。

こんな長いフライトをこなせるのも、今のうちじゃないかと。健康で元気じゃないと、アフリカは無理かもしれない。

出国する前、家族や友達が「エジプトは危ないんじゃない?」と心配してくれたけど、世界中に安全な国なんてあるんだろうか?

たとえ日本にいようがどの国にいても、危険や怪我や病気はついてまわる。逃れることのできないその人の持った運命だと思うのだ。

カイロからの帰国便で、グアム旅行の家族が通り魔事件で死傷した事件をテレビで見た時、ゾッとした。私もグアムやサイパンには何度か訪れている。グアムやサイパンは海外旅行というより、国内旅行の延長のように、安全で平和なリゾート地以外の何物でもなかったはずだ。

それに比べると、エジプトは外務省から渡航危険区域に認定され、観光のツアーバスには必ず現地の警察官の同行が義務付けられていて、グアムとは全く対極的に危険な国であったはずだ。

現に到着して3日後にはカイロの広場で大規模なデモも起こり、観光客は夜は街に出ないように指示された。

そんなリスクがあっても、私は何事もなく元気いっぱい、充実した気持ちでエジプトから帰ってこれた。

ギザの三大ピラミッドの荘厳さ。ピラミッド前では「月の砂漠をはるばると」の、ラクダにも乗って、気分はアラビアのロレンスみたかった。

エジプト考古学博物館では、ツタンカーメンも見た。18歳で亡くなったツタンカーメンのあまりにも有名な黄金の仮面はもとより、彼が使っていた椅子、豪華なアクセサリー、彼のパンツまで見てしまった。

ただ、肌で感じたのは、観光名所のしつこい物売りと、スリや置き引きの多いこと。でも、これはフランスやイタリア、イギリスでも同じだったので、たいしたことはないと思う。

ここまでが、私が見たエジプトの表の顔である。実はエジプトにはもう一つの顔があった。それをエジプトの裏の顔といっていいのか…。頭がまとまってから書いてみるつもりだ。

とにかく、私のエジプトの旅は、映画も競馬もなく、仕事を全く意識しない素の状態の旅だったので、実に楽しく感慨深いものだった。

旅は確かに人を豊かにする。旅は確かに人を大きくする。
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